自然と歴史

インドネシア半島東部に細長くのび,北部はCw,南部Aw気候。古代より中国の影響を受ける。1887年仏領インドシナに編入。1945年にベトナム民主共和国樹立を宣言,フランスとインドシナ戦争。中ソの承認に対しアメリカがベトナム国(南ベトナム)を支援・介入し,ベトナム戦争に。1976年に社会主義国として南北統一。

 

産業と現状

トンキン・メコン両デルタが穀倉地帯。1986年から市場経済を目指すドイモイ(刷新)政策に転換,外国企業を積極的に受け入れ,急速に経済成長。重工業中心から農業,軽・手工業重視に方向転換。繊維産業が主力。米は生産,輸出ともに増加。コーヒー豆の生産も急増。北部のホンゲイ炭田からは無煙炭が産出される。南シナ海で中国と対立。

 

ベトナム戦争

第二次世界大戦,ベトナムは南側の資本主義勢力と北側の共産主義勢力の対立によって南北に分断された。北ベトナムによる共産主義勢力の拡大を防ぐため,南ベトナムを支持するアメリカ合衆国が中心となり軍事介入を行ったが,アメリカ合衆国内の反戦世論の高まりなどにより1973年に撤退した。このときに散布された枯葉剤により環境や人体等に大きな影響を残した。

 

 

 

 

 

 

統一会堂(ホーチミン)

旧南ベトナム大統領官邸で,ベトナム戦争終結の象徴である建物。無血入場時の戦争や内部の作戦会議室なども公開されており,国内外から観光客が訪れる。

 

メコンデルタの稲作地帯

メコンデルタは,ベトナム最大の稲作地帯で,同国における米生産のおよそ半分を占める。2~4月の春作,5~9月の秋作,10~1月の冬作の三期作が行われている。

 

ベトナムのコーヒー豆栽培

19世紀にフランスの植民地となってからコーヒー豆の栽培が始まった。近年生産が急増し,1999年にコロンビアを抜き,世界2位(2017年)となっている。栽培が容易で,インスタントや安価なコーヒーに用いられるロブスタ種が主力である。

 

フォン川を行き交う小舟(ベトナム)

雨季に水かさを増した川は,山岳部から平野部に集まり,水田地帯を覆う。海岸や河川には,漁をする小舟や荷舟が群がるように停泊している。

 

輸出向け冷凍エビの生産工場

水産物の輸出に力を入れるベトナムのエビの主要輸出先は日本,アメリカ,EUである。1980年代に始まったエビの養殖ブーム以降,エビ養殖池の開発が熱帯アジア各地のマングローブ林消失の最大の原因となっている。

 

ベトナムの経済

1986年に社会主義型市場経済に移行して,政府はドイモイ(刷新)政策を実施した。企業の自主経営権拡大や対外解放政策を進める一方,急速な市場経済の導入は高いインフレ率を招いた。ベトナムはASEANのなかでも工業用地や賃金が安く,勤勉な国民性も評価され,中国に工場を集中させるリスクを回避したい企業が拠点を移転させるチャイナ・プラス・ワンの受け皿となっている。

 

首都ハノイにある日本企業の工業団地

ベトナムでは,中間層の増大によりカラーテレビ・エアコン・冷蔵庫などの白物家電市場が拡大しており,多国籍企業とその下請け企業などが進出している。

 

経済発展を続ける大都市ホーチミン

南北統一前は「サイゴン」とよばれた。ベトナム最大の大都市で,フランス統治時代の名残りが残る旧市街と経済成長を象徴する高層ビル群が混在する,ベトナム経済の中心地である。増加するバイクや交通渋滞,大気汚染などの都市問題も深刻化しつつある。

 

ホーチミンの通勤ラッシュ

ホーチミンは,住宅が密集して自動車が通行できない小道がいくつもあり,裏道や狭い路地を通ることができオートバイが生活に欠かせない。所得の向上とともにオートバイを市民が増え,一日を通して渋滞が頻発する。

 

バイクであふれる駐輪場

バイクは市民の足として,通勤・通学・仕事などのほかに,物流やタクシー代わりにも使われている。ベトナム全国のバイク保有平均台数が1,000人当たり378台であるのに対し,二大都市のハノイホーチミンでは2倍弱の670台にのぼる。自動車保有台数も徐々に増えており,各地で深刻な渋滞が多発している。ハノイでは,バスなどの公共交通機関の整備を目的とした日本の国際協力が行われている。

 

ベトナムのオートバイ

ベトナム語でオートバイは「Xe mo to(セモト)」というが,「xe honda」でも通じるほどホンダのバイクが多い。特にスーパーカブやドリームという車種が人気である。近年はスズキをはじめ,他社のバイクの売り上げも伸びている。

 

 

アオザイを着て通学する女子高校生

アオザイはベトナムの民族衣装で,正装として着用される。アオザイとはロングブラウスのことで,下にはクァンという太いズボンをはく。女子学生の制服になっていることも多い。中国文化の影響を受けているが,現在は欧米風のデザインを取り入れたものも多い。

 

ベトナム南部から船で脱出する難民

社会主義化による抑圧を嫌う多くの人々が船で周辺諸国へ脱出し,難民は「ボートピープル」とよばれた。アメリカ,カナダ,オーストラリアへの移住者も多かった。