どこかへ出かけて帰る時や帰った後、「あの人へのお土産忘れた」や「お土産が足りない」や「もう少し買っておけばよかった」なんてことはよくある。今となっては東京駅や通販を使えば忘れたものは買えるからなんとかなるが、昔はどうしたのだろうか。忘れた時はさぞかし困ったに違いない。そう、かの有名な学問の神様、菅原道真が困ったその1人であるとされる(思われる)。
菅原道真とは、「幼少の頃より学問の才能を発揮され、わずか5歳で和歌を詠まれるなど、神童」*でありながら、忘れ物をしたらしい(笑)。
*太宰府天満宮ホームページ
そのような彼が、宇多上皇(退位した天皇のこと)と吉野へ行く途中、道祖神への供え物を忘れたことに気づいたとき、以下のような和歌を詠んだ。
このたびは 幣もとりあへず 手向山
もみぢの錦 神のまにまに
日本語訳
今回の旅は急な出発だったので、幣も用意できませんでした。そこで、手向山の紅葉の錦を幣として手向けます。どうか、お受け取りください。
お土産を忘れちゃったので、紅葉をお土産にと言われても…
と中学生の時自分は考えたが(朝読書の時間で小倉百人一首を読んだから覚えている)
高校生になって見方が変わった。
高校1年の「ルリボシカミキリの青」という、少年が「人工」の色よりも「自然」の色(ルリボシカミキリの色を好んだ話を読んだ時のこと。
国語の先生が、
「現代人はイルミネーションとかさ、人工のものに目が奪われて自然の美しさに目が向いていないよね」みたいなことを言って、
思わず、
「なるほど」と思った。確かに、イルミネーションなどは人や会社が作る人工の美だ。
そして、月日は流れ大学生になって富士河口湖紅葉祭りに行った時のこと。

思ったことは
「きれいだ」
行ったときはライトアップされてなくて残念と思ったが、むしろこれでよかったと今は思う。これこそ自然の美しさ。
菅原道真が紅葉をお供えした理由が分かった気がした。
今度、帰省する時は「紅葉の錦が手土産だよ」とでも言ってみようかな~