果たして紅茶はどのように欧州へ渡り、愛される飲み物となったのでしょうか?
皆さんは紅茶と言えば、イギリスを思い浮かべるでしょう。
しかし、紅茶が欧州で最初に伝わった国はイギリスではなくオランダでした。
15世紀にポルトガルはインドに行く海路を開拓し、
インドを中心に東南アジアと北東アジアまで貿易の範囲を拡大しました。
オランダはポルトガルが開いた海路でお茶を輸入したのです。
イギリスにお茶がいつ輸入され始めたかは正確にはわかりませんが、
1658年の新聞を見ると、カウェイという商人が
「すべての医師たちが勧める中国の神秘のお薬」を販売する
という内容の広告が掲載されています。
このようにお茶は最初飲み物ではなく、健康食品として紹介され、
輸入初期には尊い贅沢品として流通されました。
イギリスにお茶が紹介されてから約30年間での総輸入量は計9トンです。
9トンというと私たちが普段街で見かけるトラック一台分に過ぎません。
このようにお茶は貴族だけが楽しむ飲み物でしかなかったのです。
その最も大きな理由はお茶に課せられていた税金です。
お茶の税金が119%だったといわれており、
当時のアジアから欧州までの運送期間、費用などを考慮したら
それも納得仕方されるのではないでしょうか。
その後1784年、お茶の輸入に対する税金が既存の10分の1ほどに下がり、
そのためイギリスでのお茶の消費量は急増します。
また、インドでイギリス人が直接紅茶の生産をアッサムで始め、
その影響で「アフタヌーン・ティー」といわれる文化が誕生しました。
19世紀の初期、イギリスの貴族や上流階層は午前10時ごろに
朝食、午後3時前後に夕食をした後、夜7時頃簡単にお茶を飲む時間がありました。
それが「アフターディナー・ティー」です。
そして、夕食の時間が段々遅くなり、昼食の概念が生まれ、
お昼と夕食の間の長い時間の空腹を解決するため、「アフタヌーン・ティー」が誕生しました。
「アフタヌーン・ティー」の流行は
お茶をとても愛したというビクトリア女王の影響がかなり大きかったといわれています。
1837年から1901年まで64年を治めたビクトリア女王はお茶を好み、
1865年からアフタヌーンレセプションを開始しました。
ビクトリア女王の統治の後半19世紀末に
「アフタヌーン・ティー」は国民が楽しむ行事として定着しました。
イギリスでは今も高級ティールームで「アフタヌーン・ティー」が文化として根付いています。
ロンドンの最高級ホテルの一つであるリッツホテルの「アフタヌーン・ティー」は
一人当たり1万円をはるかに上回る価格にもかかわらず、
3ヵ月前に予約をしなければならないほどの人気です。
紅茶を愛する人ならば、ロンドンに訪問する機会があったら一度経験してみてはいかがでしょうか?
整理すると、
①紅茶は初めてヨーロッパのオランダに伝われた。
② 最初お茶がイギリスに紹介されたとき、飲み物ではなく健康食品として紹介された。
③お茶に課せられていた税金が高かったため、最初は一部の貴族飲みが楽しめる嗜好品であった。
④ビクトリア女王の時代に「アフタヌーン・ティー」という文化が広がった。
ということです。
次は紅茶の種類についてお話いたします。
紅茶化粧品!A・TRUE(エートゥルー)のホームページはこちら
↓↓↓↓↓↓↓↓











