天守閣 婆娑羅
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福岡城の「幻の天守閣」威容再現。



 福岡城の「幻の天守閣」です。


収納ケースの幅に合わせて 大天守と小天守をつなぐ 続き櫓(中天守、と呼ぶらしいです)

をデフォルメして左右を縮めました。


縮めた、とはいえ・・・・・

十分 迫力のある 堂々たる威容です。


石垣の勾配も かなり傾斜をきつくして 全体をコンパクトにしています。



どことなく 広島城に似ていると思います。


大阪城の影響でしょうか。

実際には この天守閣の周囲には さらに長大な多聞櫓が取り巻き 幾つかの重層櫓も

付属していたとか。


福岡の町を睥睨する威容。


想像するだけでもワクワクしますね。


1年がかりの難工事でした。

沼田状天守閣・福岡城、再建中!

 この立派な天守閣はどこのお城のものだと思いますか?


 どことなく松本城と同じDNAを感じさせます。

 真田幸村のお兄さん、真田信幸が慶長元年に上州沼田の地を領した際に    

 沼田城に揚げた 当時 関東随一の五層天守閣です。

 


沼田城⑤


 私は沼田城を訪れたことがなく 現状がどうなっているかは 城跡探訪サイト 

 から 画像によって知るだけですが どうやら 天守台石垣の痕跡すらとどめ 

 ていないようです。(間違っていたら申し訳ありません。)



沼田城①

この模型をご覧になった多くの方が 「沼田城には こんな立派な天守閣が存在していたのか!!」と目を見張られます。



沼田城④

そういう驚きを与えることができるのも 復元模型作りの楽しみの一つです。


「こんな立派な・・・・」と同じネタですが 現在 福岡在住の方からのご依頼を受け 福岡城天守閣を再建中です。

軍師・官兵衛の黒田如水公の息子さん、長政さん創建の大型天守閣です。


長く「幕府に遠慮して建てられなかった」とされていたのですが 調査の結果 実は建っていたのではないか、とのことです。


模型は お盆休暇のうちに完成させたかったのですが 自営業の弱み、急な依頼(元請け様が休暇中に進めておいてほしい、との意図で発注して下さる いわゆる 夏休みの宿題、です。)と ボランティアのキャンペーン活動に忙しく 出来高30%といったところでしょうか。



これに多聞櫓状の中天守(天守入り口が存在していたようです。)、 三層の質素な小天守が連結します。


1/150模型でも 全長50㎝を超えそうで 収納ケースの都合で 中天守閣は省略・・・・ということになる可能性も大です。


天守閣だけ作成して放置していた 高崎城・水戸城・浜田城に 土塁や石垣を作りました。少しずつ ご報告してゆきます。

再登場 米子城 その②

 「かつて わが町には こんな素晴らしい天守閣があった。」


その驚きを 息子に味わってもらいたくて 天守閣復元模型を始めました。


手始めは 当然、わが町の「高松城」。6年くらい、前でしょうか。



米子城①


この米子城も 息子のお気に入りの一つです。


白亜の層塔式天守より 板張り、大入母屋の 望楼型の織豊期天守閣が


好みのようです。




米子城③


大きな入母屋を二つ重ねた上に 唐破風と切妻破風の組み合わせ。


そのうえ 袴腰、なのですから 米子城の意匠は完璧息子好み。




息子も今年 社会人となり 一緒にデスクを並べて 設計の仕事、


はじめました。


天守閣模型の甲斐があってか 立派なお城好き、建築好きに成長しました。


息子と ともに元気に働ける毎日が楽しくて仕方ありません。

再登場 米子城天守閣

米子城天守閣の最上階は類例のない 袴腰状の板壁。


その装甲車然とした 武骨で素朴な佇まいは いかにも戦国の城、といった


風情です。まさに古武士の姿、そのもの。





傍らの小天守閣も同じデザインテイストながら  3重4階の規模。


米子城は これらのツイン天守が並ぶ デラックスな城郭だったとのことです。



米子城④


模型では十分表現できませんが 小天守閣の初重は歪んだ不等辺5角形。


石落としと出窓で武装した コテコテの戦国天守だったようです。





米子城①


それもそのはず 小天守閣の方は 吉川広家によって慶長期に造営された


本来の天守閣で 片や 4層5階の大天守閣は 関ヶ原以降 新城主となった


中村一忠によって造営されたもの。どちらも 天守閣クラスの格調高い


大建築物。


造営年代の異なる二つの天守閣が並び立つ壮観。



米子城⑤

米子の空には明治初期まで この全国屈指のツイン天守閣が威風堂々と屹立


していたのです。


どうしても その威容を再現してみたくて また、作ってみました。

高松城天守閣 再登場

 南蛮造りであったとされる高松城天守閣を 再度 作成しました。


 3層4階建てながら 石垣から上の建物本体の全高は26m超。


高松城⑤

この高さは 5層天守閣の広島城や岡山城を凌駕するものです。 西日本屈指の大型天守閣です。



高松城④

このスケール、そして この姿の天守閣が瀬戸内海に睨みを利かせていたのです。


私たちが 想像もできないような 素晴らしい風景が そこには広がっていたはずです。


高松城②



再度、と書きましたが 高松城の天守閣は 大小とりまぜて 10棟以上も作成しました。


作成するたびに 3層目と4層目の絶妙のバランス、破風と出窓の配置の妙、

そして どっしりとしていながら 洗練されたプロポーション・・・・

先人の技に、美意識に 心が打たれます。



高松城

最上部4層部分の 華灯窓が お茶目で素敵です。

ユルキャラのお口然としているのに 格式を感じます。



高松城③

高松市郊外の牟礼町の道の駅には 丹精込めて作成された大スケールの高松城天守閣模型が展示されています。

城郭模型をライフワークとされている アマチュアの匠が 作られた力作です。


私が作る ペーパークラフトのペラペラでは絶対に出せない 重厚感に満ちた傑作ですから 高松に来られた時には是非ご覧ください。

工期6か月、丸亀城復元模型 堂々完成。



今は 累々たる石垣のてっぺんで 清楚な3重の天守が 少し寂しそうに 瀬戸の海を見守っている丸亀城ですが かつての 櫓が林立する大要塞の風格を再現しました。


これは 熱心な丸亀城ファンの丸亀市にお住まいのSさんの依頼によるものです。

作者の手が写り込んだ写真で申し訳ありません。




この高石垣を作った後 アベノミクスの恩恵か、信じられないほど業務が忙しくなり 完成するまで

6か月を要しました。



縮尺は1/200で 石垣の高さや 郭の平面的なボリュームは 材料サイズとの兼ね合いで少しデフォルメしています。


全体で60㎝×40㎝ほどのサイズですが 家庭で飾るには ちょっと嵩張るサイズかもしれません。

Sさん、申し訳ありません。


細部の資料をご自分で調査され 大変な熱意を抱いておられたSさんの 丸亀城「愛」を満足できたら良いのですが・・・。


現在 駿府城、萩城、米子城、福岡城、沼田城 などの5層天守閣を続々 再建中です。


柳川城天守閣 威容再現。



 大分県のTさんのご依頼による柳川城天守閣復元模型です。


佐賀県佐賀市佐賀城本丸歴史観では現在 佐賀城天守閣復元に関する企画展が開催されています。

そこに 私どもで作成した小倉城天守閣模型が展示されています。

佐賀城天守閣が 小倉城をモデルとした4層の南蛮式天守閣であった可能性が高い、とのことで

それで小倉城の本来の姿を模型展示したい、との主催者のお申し出に お応えしたものです。


Tさんは わざわざ 佐賀城まで その模型を見に行ってくださり その上で 「柳川城の復元模型を」とのご要望でした。



柳川城の模型はこれで4度目ですが 今回初めて 文献資料に残る「小天守閣」風の二層櫓も合わせて組み合わせました。

柳川、ですから 堀も表現したくて 少し大きめのサイズになってしまいました。


堀はパラフィンですが 色がちょっとマンガっぽい感じになってしまい 反省しています。





全体像はこんな感じです。


40㎝×40㎝、高さも約40㎝で お人形用の簡易ケースに入れています。

プリントアウト素材によるペーパークラフトですから 細部はかなりデフォルメしています。

申し訳ありません。


気に入っていただけたら良いのですが。

柳川城再建、そして 秀吉大坂城 天守閣

最近「NPO柳川城を再建する会」という市民団体の事務局様から ご連絡をいただきました。


柳川城、といえば 木々の合間から 五層天守閣の上部正面が姿を現している古写真を拝見したことがあります。今では 遺構の多くが失われ 学校の敷地になっている、と伝え聞いています。


その現況に対して 古写真で見る天守閣の姿は まさに 幻の天守閣、です。


資料も少ないようですから 復元には大変なご努力が必要と思われます。


水郷に影を落とす 堂々たる柳川城天守閣の再建が実現すると 本当に素晴らしいですね。



今回は 大坂城天守閣、秀吉時代のきらびやかな姿を再現しました。
天守閣 婆娑羅

天守閣 婆娑羅

天守閣 婆娑羅

天守閣 婆娑羅
市販の 学研「歴史群像シリーズ」天守のすべて、などの 再現図面を参考にさせていただきました。


この時代の天守閣は 古風な意匠、自由で個性的なプランが お城好きの興味をかきたてます。
天守閣 婆娑羅

水不足の後は 大雨。自然の営みは畏怖すべきもので お手柔らかに、と祈る以外ありません。

福岡城天守閣と佐賀城、小倉城。


天守閣 婆娑羅-福岡城大天守
 図書館の片隅で見つけた たしか「甦る幻の福岡城天守閣」、というタイトルの書籍に 福岡城天守閣の精密な図面が掲載されていました。3Dデータを作って ペーパークラフトにしてみますと こんな天守閣が姿を現しました。


かつての福岡城は このような重厚な5層大天守に 多聞櫓が接続し 小天守閣も並び立つ 威容を誇っていたようです。


とりあえず 大天守閣のみ 再現しましたが いずれは周囲の多聞櫓・小天守も、と思います。



先日 佐賀城の城内資料館の関係者の方からメールを頂きました。

佐賀城天守閣も相当立派なものだったとのことです。


その関係者の方のお話では 小倉城天守閣をモデルとして 小倉城より さらに大型だったようです。
天守閣 婆娑羅-小倉城

天守閣 婆娑羅-小倉城
これは 最近 再びチャレンジした 小倉城天守閣の本来の姿です。これもペーパークラフトです。


現在の小倉城再建天守閣も華やかで力強いですが 本来の 破風のない 完全無欠の層塔式天守も

斬新で 清清しく 天守建築の完成形と呼ぶにふさわしいものです。

現代のシンプルモダンな住宅デザインに通じるところがあるような・・・・・。これは気のせいかもしれません。


前述の佐賀城も天守閣の復元模型を構想中とか。

幻の天守閣が また 甦りそうで とても楽しみです。 

「幻の天守閣」再建プロジェクト、再開しています!!

 瀬戸内芸術祭春会期で 高松近辺も大いに盛り上がったようです。


高松近辺の観光ブームにつられて また いくつか 「幻の天守閣」の復元模型を作成しました。


 今のところ 安土城、秀吉の大坂城、小倉城、萩城、津山城、沼田城、丹波亀山城、家康江戸城、

そして・・・来年の大河ドラマを狙って 福岡城を再建しました。


高松城跡・玉藻公園披雲閣で開催させて頂いた「幻の天守閣展」の40棟近い数には まだ到底及びませんが 少しづつ 幻の天守閣が復活・増殖中です。


 福岡城は県立図書館で 福岡城の「幻の天守閣」をテーマにした単行本をお借りして 本文中の図面を3Dデータを作成して 模型にしました。

少しづつですが ご披露してゆきます。


天守閣 婆娑羅

天守閣 婆娑羅

天守閣 婆娑羅

天守閣 婆娑羅

津山城天守閣の復元模型です。青空の下で 愛車のルーフに乗せてたところを 息子が撮影してくれました。


実物の模型は1/150で それなりにアラもあるのですが こうしてみると 実に凛としていて 堂々たるものです。


これはプリントアウトした紙素材によるペーパークラフトです。


重厚感を演出するため 軒先・垂木部分に1㎜厚のイラストボードを使用していますが ボール紙と厚手のプリント紙でできています。


最上階の欄干は爪楊枝と 模型船用のエッチングパーツ(船舶用手摺)を使いました。

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