「お母さん、あのね。普通ってね、
100人中97人のお子さんがが出来たらそれが普通なのね。おたくのお子さんはその他の3人にも入らない。」
現在14歳の次男P。(高校受験です😅)
そのPが、2歳の頃だったかな、
訪ねてきた保健婦さんが”普通”をこう説明してくれました。
ただただ、ひえ〜〜〜〜〜😱😱😱
でしたよ。
本気で良かれと説明してるのが伝わるから…
だからこそ衝撃で、
湧き上がる疑問を声にすることが出来なかった。
それが普通?
知らなかった…
それは普通じゃなくて統計上じゃないの?
確かに、
2歳になっても歩かない。
言葉も少なめ。
だから普通じゃない?
言い切る?
親だもの心配はありました。
小児科の発達訓練に定期的に通い、
医師の診断は、「歩けないのではなく、歩きたくないのでしょう」でした。
Pが2歳の頃は、
放牧されてる🐮のモーという鳴き声と、
パーン撃たれた後の🦌の鳴き声が聞こえる、
そんな場所に暮らしていたので、
その後、保育園に入園させ、
あっという間に歩き出しました。
が、、、、。
あの頃は、
発達障害という言葉も知らなくて、
「彼が嫌うこと」と捉えていました。
Pだけならなんの問題もない。
比べられさえしなければ。
PはP。
ただただ可愛くて
生後4ヶ月で余命宣告を受けた彼。
この腕の中で彼が…
この腕で受け止めた消えかかる命…
だからかな、笑顔が見れることの喜びが勝る。
小学校に入学して、
ん?ん?ということが、目立つようになって、
なんで出来ないの?
何度言ってもどうして出来ないの?
そんなこともありました。
”彼が嫌うこと”
と、漠然と理解していたことに理由がある事を知りました。
吃音があり小3で言葉の通級に通い始め、ウィスク検査を3回受け、
学習障害LDだと診断された時には、小学4年生になっていました。
この時ばかりは、ひとり親シングルマザーの心細さを味わって泣いたなぁ😭
原因?と思われることばかり、思い起こされ、
悔やみ、
責め、
涙はとめどなく流れて落ちていく。
大抵のことは、笑ってきたけど、
自分自身の常識を見直し受け止める勇気が必要でした。
普通の説明から12年。
今なら、
もしも普通があるとしたら、
100人いたら100の普通があるのでは?
そう声に出せるかな。
Pの高校受験、
PがPとしていられる高校を選択しようとしています。
世間…そう呼ばれるものが事実どこに存在しているのか?
言葉は事実に沿っているとは限らないから。
「子どもが、ある症例や障害のカテゴリーにはいっていると思われたとしても、
それがいわゆる健常児であることより劣っているとは芥子粒ほども思ってはなりません。
かつそれは本心でなければなりません。」
「イルカとライオン」 著 川手鷹彦先生
わたしは、この川手先生の言葉に大きく頷きます!
十人十色
健常
障害
そう思うのは誰ですか?
そこが世間かもしれない…
