(過去記事から)
テーマ:戦争と勇気 知ってほしい真実
一昼夜がたち、朝日がさすころには領事館内の生存者はわずか28名
になっていました
弾薬も底をついてしまう
残った一同はまず子供を殺しました
そして、石田副領事、三宅海軍少佐以下全員が自決しました
一夜が明けたとき尼港に残る日本人は河本中将率いる別働隊と
領事館に非難し無かった民間人121名だけとなりました
抵抗を続ける日本人に対しこれを強いと見た共産パルチザンは
策を弄しました
山田旅団長の停戦命令を偽造したのです
河本中将はこれは「怪しい」と思ったそうです
けれど、もし停戦命令に従わなかったことが後日国際上の問題となれば
それは軍記を守る皇軍として取り返しがつかないことです
なぜなら、軍はあくまで上官の命令によって動くものだからです
河本中尉は命令を受け入れました
生き残った121名は全員武装解除に応じたのです
そして全員が投獄されたあせる
牢獄ではろくに食事も与えられず日本の救援軍に対する防衛陣地構築のための
”土方仕事”にかりだされました
零下30度
極寒の地
凍てついた大地に土嚢を積み上げ陣地の構築をしたのですあせる
そして”陣地構築が終わると
てのひらに
太い針金を
突き刺し通して
後ろ手に縛られ
凍るアドミラル河の氷の穴から
生きたまま共産軍によって
次々と放り込まれ
殺されてしまいました
春になって ようやく 旭川第7師団の 多門支隊が 現地の救援に
やってきたのです
目
そこで彼ら救援隊が見たもの それは まさに地獄絵図
焼け野原と化した尼港には死臭が漂い
そこには
「いったん撤退するが再び来て 日本人を征服し尽くす 覚悟せよ」
と記した共産パルチザンの声明文が残されていました
日本の 救援部隊来着近し の報を受けた共産パルチザンは5月14日
シナ人の妻、妾 となっていた14名の日本人女性以外
生き残った日本人全員を殺害していたのです
シナ人の妻 妾 となっていた女性たちの証言から
1月29日から5月14日までの106日間の尼港の模様が明らかになりました
生きたまま両目をえぐられ
5本の指をバラバラに切り落とし
死ぬまで何度も刺されていた
金歯がある者は生きたまま
あごから顔面を切り裂かれ
金歯を抜き取られた
女は裸にされ凌辱されたうえで
股を裂かれ乳房や陰部を快り取られ殺された
獄舎の壁には 血痕 毛のついた皮膚 などこびりついていたそうです