スピ系の「我を無くす」とは一体どうなることなんだ? 答えは出ました | サファイアのブログ

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スピリットの成長と日々の変化を日記にしていきます。
                       進化する魂

私は今までスピリチュアルな発想で

我 自分の自我を無くすとはどうすればいいのか???と

考えている時期があった

私なりに「思い道理にしたい」「一つのことを根に持つ」

などの意味にとらえていや^^~~自我を無くすとは大変だよ、、と

最近はあまり考えないようにしていた


            けれど

違っていたことが分かった


           日月神事ではこうだった


自我、、、ふつうの解釈では「あの人は主張を頑として通し自己中心的にことを進める」



エゴイストだ


「我を無くせ」 「エゴを手放せ」


「我」は霊性進化にとって妨げとなる

それでは、「我」が無くなったらどうなるのでしょう???

自分の考えを持たず
いつもニコニコ
日々純真に
本能的に生きる人を言うのか???

もしそうだとしたら

どんな人間だ???


日本の新興宗教でもアメリカのニューエイジ思想でも
「我を無くす」ことを 高度な意識レベルとして扱う


           それでは「日月神事」ではどうか?


 「我を張っていると いつまでもわからずに苦しむばかりぞ」


 「世界中から神事通りに出てきて 足元から火がついてもまだ頑張りて
  いるようでは  今度は灰にするよりほかないぞ
  恐ろしなっての改心では遅いぞ」


 「仕事は命ざぞ   仕事喜んで仕え奉れ  我だすと曇り出るぞ
  曇ると仕事解らなくなるぞ」


 「我がこのみちの大きな邪魔となるぞ
  くどいようなれど繰り返し繰り返し  気付けおくぞ」

 「神のそばに引き寄せても 実地に見せても 我が強いから
  中々に改心 いたさん 臣民ばかり  
  少しは神の心さっして  みるがよいぞ
  気の毒できるから 少しは神の身にもなってみるものじゃ」


 「人民の我では通らん時と なったくらいわかっておろうがな
  はよう 我捨ててこの方に ついて参れよ

  素直に致せば 楽に行けるのざぞ」


 「我 出すなと申してあろう
  このたびの 岩戸開きに使うミタマは 我の強いものばかりが
  メグリ(因縁)だけのこと償って 償うことぞ」


 「我の強い 守護神どの もう我の世は すんだぞ
  我だすほど 苦しくなるのじゃ」


 「
  わが身を捨て、 三千世界に生きてくだされよ
  わが身を捨てると申すことは  我 を すてること
  学を捨てることじゃ

  捨てると真理がつかめて たいそうな御用ができるのであるぞ」



 「そなたは 我が 強いから 我の強い 霊界との交流が
 
  だんだんと強くなり 我の虫が 生まれてくるぞ

  我の病 に なってくるぞ

  その病は 自分では わからんぞ」



 ○●○●○●○●○●           ○●○●○●○●○●        ○●○●○●○●○●



              は~い

ここで一つ解説


日月神事も 我を無くせと申しておられるのです
人間にとって無くすべきものは「我」がががです

ここで日月神事は少し角度を変えて今ひとつ
深い意味があるのですよ

ただ、我を無くせ、、ではないんですね


       


          (小さい我を広げて 大我に融け入れ)


解説始まり


       「我がなくてはならん 我があってはならず

        よくこの神示読めともうすぞ」



  なぜ相反することを云うのでしょうか

  どう判断すればいいのでしょう???


  これに対する答えは(水の巻*第十二帖)


           
                つまり


  人間には「我」があり
  神心には「我」がない

                よって


  神に融けいることにより「我」を無くすのと同様の
  結果をもたらす


  
             もう少しわかりやすく言うと



  人間的な「小さい我」小我に 止まらず
  
  これを大きく大きくひろげて  


  宇宙意志 すなわち 神の 「大我」と合致させよ

 
  独善的な 「我」を捨て


  もっと大きな 「我」を 持てということだ


***この心境に至ることにより 我々人間の持つ いわゆる「我 我 我」は

   はじめて 消滅 消滅 消滅  するに至る  ***



この意味からすれば「我を無くせ」というは誤った考えであることがわかる



向かうべきは 「小さい個人の我」 にとどめず


大きな大きな 「大我 」に融けいらせてしまえ



今の宗教とは正反対である


              我とは


      これを押さえ込んで無くすものではない
     
      これをもっともっと大きく広げて

      「小さい我」 の殻を打ち破り

      「大我」との一体化をはかるように努めることだ



 最後に


   「こと分けて申せば 今の人民 すぐはできぬであろうが
   
    はじめは六分国のため

    四分自分のため

    次は 七分国のため  三分自分のため


    次は 八分国のため  二分自分のため


    というように してくれよ


    これは まだ 自分あるのざぞ


    自分なくならねば ならぬのざぞ」

                      (日月の巻)



                転写 中矢 伸一書  日月神示より
               言葉使いをサファイア的に数か所変えてますが
               あしからず