抑留者の遺骨総数が不明
名簿の名前が???なのだ
消息不明なお1万8000人、遺骨収集も難航
2013.8.24 10:08
シベリア抑留者の調査が本格化したのは平成3年。ゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)が約3万7000人分の抑留死亡者名簿を日本政府に手渡したのがきっかけだ。しかし、その後の身元確認作業は難航、今も抑留者の総数すら解明されていない。抑留経験者の平均年齢が90歳となる中、実態解明が急がれている。
「ワイン・ゲンチ」「ラカザ・イーム」「ンダ・エネゾ」-。厚生労働省が公開している抑留死亡者名簿には日本で見かけないような名前が列挙されている。「多くは抑留中に通訳を通じて聞き取ったままロシア語で記されている」と同省担当者。記載されているのは生まれた年や死亡年月日など5項目だけで、階級も下士官以下は「兵」とひとくくりにされていた。
同省が推定する抑留死亡者は約5万5000人だが、ロシアなどから提供された名簿の最終的な人数は約4万2600人分。身元確認は先月末時点で3万7255人まで進んだが、名簿に記されていない約1万2000人分を含め約1万8000人分が消息不明のままだ。
これまで収容された遺骨は、引き揚げ者が持ち帰った分も含め約2万1000柱。しかし、引き取り手がいなかったり、身元が確認できないなどの理由から約1万1000柱が国立千鳥ケ淵戦没者墓苑に納骨され、約6000柱は厚労省庁舎内の納骨堂で遺族を待つ。
厚労省はロシアの国立軍事古文書館に保管されている抑留者の記録の解析を進めるなど戦後70年となる平成27年度に向け、実態解明と遺骨収集を加速させたいとしている