「正論だ」と”さふぁいあ”もおもいますよ
徳川幕府がおわり明治時代になった時、ヨーロッパ、アメリカ諸国が日本のまわりをウロウロしていて、日本に少しでも隙があれば植民地にしたい、植民地にできないまでも不平等条約を結んで利権をむさぼろうとした。
でも、日本はまだ良い方でインドやインドネシアなどのほとんどのアジア・アフリカ・南アメリカの国はイギリスやオランダ、スペインの植民地となり、昔からそこでのどかな生活をしていた人々は、悲惨な目に遭い、あるいは銃撃されて死んだ。
驚くべきことにここ200年間で、ヨーロッパ、アメリカ合衆国以外の国で「完全に独立していた」という国は日本だけと言ってもよかった。
その状態を出発点にして靖国をとらえなければならない。
明治政府は隙あらばと日本を狙っているヨーロッパ、アメリカ列強に対して日本の独立を守るのに必死だった。当時、世界は弱肉強食で、軍事力が支配する時代であり、日本も貧困な国だったが、それでも必死で軍事力を蓄えていった。
その一つが日露戦争で大勝利を収めた日本海海戦である。この戦争に勝ったことで一応、日本は植民地になる危険性は無くなった。
日本海海戦の勝利の原因はいろいろあるが、明治政府が早くから財布をはたいて、イギリスなどの先進国に軍艦を発注し、下瀬、伊集院などの技術者が火薬や信管の研究をし、海軍が猛烈な訓練をして戦闘に備え、それに東郷平八郎の指揮が光った。
戦いは「殺しあい」であるから将校も兵士も死を覚悟して祖国をでなければならない。出征の時、兵士は死ぬことを覚悟して戦地に赴く。でも、死しても自分の魂が永遠に祖国に帰ることができないことは耐えられない。そこで、
「今から、征ってきます。次は靖国で会いましょう」
と言った。
つまり死を覚悟して出征する兵士にとって見れば、「帰るところ」が必要である。しかも、日本国の将校や兵士が出征するのは「お国のため」であり、それは「国家の公務」なのである。出征とは「死を賭す出張」である。
もちろん、それが「靖国」でなくても良い。村の鎮守様でも良かったかも知れない。でも死の旅にでる兵士にとってみれば「死して魂となり帰ってくる場所」がいるのである。その時には家族もいないかも知れないし、第一、家族がいない兵士もいた。
明治政府は「出征した人の魂が帰ってくるところ」を準備した。それが靖国神社である。
アジアの国がヨーロッパやアメリカの武力で植民地になっていく中、日本が軍備を整え、軍人は戦地に赴いた。死ぬ覚悟をして出征し死んだ人は日本にとって英霊である。国家がその英霊をまつるのは当然であろう。
このことは意見でも主義主張でもない。日本人なら誰一人反対しないと思う。だからこれは思想の問題でもないと感じる。私たちを守るために命を捨てて、出征していく兵士が「自分の魂は祖国に帰りたい」と言っているのだ。選択の余地があるだろうか?
朝の新聞には「失うものが多い」と論説にあったが、本当はどうだろうか?
まず第一にこのブログの「普通の歴史」のシリーズで書いたように、
1)日本は侵略戦争をしていない、
2)東京裁判というのは事実ではなく、東京リンチはあった、
3)したがって、戦犯(犯罪人)はいない、
4)南京虐殺はなかった。朝日新聞の造語である、
ということだ。
日本が戦ったのは、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中国(中国だけはアジアの国で白人側についたから)であり、アジア人とは戦っていない。朝鮮とも戦っていない。だから侵略戦争というのは中国人と朝日新聞の造語である。
戦争に負けて、アメリカ側が「裁判」という体裁をとって日本の指導層を殺したが、法律がなく、裁判所もないのだから裁判はない。勝ったものが単にリンチをしただけだ。裁判がないから犯罪人もいない。
南京虐殺というのも朝日新聞の造語で、普通の戦争が行われただけだ。先の戦争で日本人の犠牲者は軍隊が200万人、一般人100万人だが、南京戦役では軍隊10万人の犠牲で民間人は1万人ぐらいだ。普通の戦争より日本軍の規律は守られていた。
私たちの祖先は世界的に非難されるようなことはしていない。むしろアジアの人たちからは尊敬されるべきである。白人は日本に警戒しているのも当然である。
国民や国の指導層が、その国のために尊い命をささげた人に敬意を表するのは大切なことだ。中国との貿易(お金)気にして私たちが大切にしなければならない人をないがしろにすることこそが日本の文化を壊すことだ。
アメリカがどういった、中国がどうだということに左右されず、日本人は日本人自ら判断しなければならない。
劇団真実~抜粋
真っことそげんばい先生