(日本には今必要な人だと強く感じました)
帝国陸軍中野学校
小野田寛朗
ルパングにて戦後も29年仲間と共に戦っていた兵士
情報機関の任務今でいうスパイ情報部かな
帝国陸軍中野学校で教えられたことを
全うした人であり、何ら人から陰口を
言われる人物ではないと思った
小野田さんの生き様は今の日本人に受け継がれてもいい
と思った(* ̄Oノ ̄*)(* ̄Oノ ̄*)(* ̄Oノ ̄*)
雑念が入る余地はない
秒単位で敵を感じ生きて戦う
20キロの荷物を背負い2日と
同じ場所に眠ることは無い
地面に眠ることになれる
耳にはありが入ってきて鼓膜を破くのです
耳垂れが、、、、
雨の時は軍歌を歌った
雨の時にしか歌うことはできません
ルパング島にて30年余り過ごした日々
戦争は終わった板ことは知っていた
島民のラジオを奪い新聞を読み
しかし、今はアメリカの占領になっているが
いつか挽回するだろう日本
それを唯一、心の支え
戦うしかない
日本国が捜索に来る
戦争が終わっているのに
なぜ、命令が来ないのだ
それが不信感の始まり
上官の命令に服従あるのみ
日本の土を踏んでインタビューに
悲しかったことは?
戦友が死んだこと
26年間うれしかったことはありません
戦友が殺されたときどう思われましたか?
復讐心がわきました
(この気持ちが真実だろうと私はおもう)
日本を離れた理由は?
日本に帰ってきてから
国民の皆様方に同情されました
そして、国からの援助金が入り
そのお金を「靖国神社に寄付」しました
その行為が皆さんの反感を受けるきっかけと
なり、良いように言われなくなりました
マスコミに騒がれました
皆さんとケンカはしたくありません
そして、自分の居場所をブラジルに決め
たのです
1975年4月53歳でブラジル移住
牧場開拓
1800頭の牛を育てる
1980年日本国にて「子が親を金属バットで殺す」ニュース
これをきっかけにまた日本に来る
そして、昭和59年 福島にて「小野田自然塾」を始める
2013年今現在も活躍されておられます
福島の地震、原発で小野田さんの
実体験が生かされている
素晴らしい!!!
本も出しておられます
ルパングにおいての経験は
小野田さんにとっても
この日本にとっても
必要だったのではないでしょうか
究極の力を使いこなせる人
本当にすばらしい
帝国陸軍 中野学校の
教えはすばらしいな
子供たちに経験させてあげる
ことはとてもいいことだと
感服しました
敬礼