これも歴史の真実
慰安婦捏造詐欺の元ネタ → 朝鮮南部連続少女誘拐事件 1932年(昭和7年)から1939年(昭和14年)にかけて、日本統治時代の朝鮮の南部地域(慶尚道・全羅道地域)で続発した連続少女誘拐事件である
犯人は京畿道京城府本町(現大韓民国ソウル特別市中区忠武路)在住の朝鮮人夫妻で、
夫は大田刑務所の元看守であった。
1932年(昭和7年)に、夫は大田刑務所を退職したが、転職の当てがなかったため、とたんに生活が苦しくなった。 そして「金儲けは娘誘拐に限る」と称し、妻と共謀して★連続少女誘拐と人身売買★を手がけるようになった。
犯行の手口
慶尚北道大邱府南山町(現大邱広域市中区南山洞)の民家に犯人夫妻が訪れ、「俺は京城でも相当な資産家だ。子守娘を雇うのだが、君の娘はどうだろうか。京城の娘はどうも生意気で・・・」と言葉巧みに親を説得し、前金として10円を支払い、その家の娘(当時18歳)を引き取った。その後、娘を京城ではなく
中華民国の天津に連れて行き、1000円で売り飛ばしたという。
その後の7年間、同様の手口で朝鮮半島南部の少女約150人を拐し、
当時は日本人と朝鮮人などの植民地の人間はパスポートなしで渡航できた満州国や中華民国の人身売買市場に連れて行き、約60000円を荒稼ぎしたという。
加害者及び被害者が全員朝鮮人だったことから、朝鮮語メディアである東亜日報や朝鮮日報が特集を組むなど、大きく取り上げられた。
国会での事実確認追及を強く求めます! 当時の記録はきちんと残っています。
朝鮮半島引き上げ時の日本女性の悲劇 「二日市保養所」
二日市保養所は、福岡県筑紫野市にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。 ここでは、
レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行いました。 当時堕胎は違法行為(堕胎罪)でしたが、厚生省は超法規的措置として黙認しました。
終戦直後より在満、在朝の日本人は塗炭の苦しみを味わいました。 追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏む事なく無念のうちに斃れた者も少なくなかったのです。
これに加えて女性は、朝鮮韓国人やソ連兵等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいました。
そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出たのです。
日赤看護婦だった村石正子さんは、46年、同保養所で約三カ月勤務。「堕胎は違法と知っていたが、心ならず妊娠した女性は故郷にも帰れなかった。ただ救いたい、という一心だった」 と当時の様子を証言しています。
処置後、「悔しい」という言葉を残して亡くなった17歳の師範学校女生徒の事等を思いだすにつけ、村石さんは自分の過去に苦しめられたが、50年余りがたち「歴史の 一ページとして証言しなければならない」と思ったといいます。
厚生省「超法規的措置」で保養所開設
二日市保養所。
入り口脇には「厚生省博多引揚援護局保養所」の看板
がかかっていた(福岡市総合図書館所蔵「博多引揚援護局史」より)
「不幸なるご婦人方へ至急ご注意!」。満州(現中国東北部)や朝鮮半島から博多港に向かう引き揚げ船では、こんな呼びかけで始まるビラが配られた。
「不法な暴力と脅迫により身を傷つけられたり……そのため体に異常を感じつつある方は……」「診療所へ収容し、健全なる体として故郷へご送還するので、船医にお申し出下さい」
全文を読んでも、どのような治療を行うのか明示されていなかったが、ソ連(当時)の兵隊などの暴行で妊娠していた女性には見当が付いた。
「不幸なるご婦人方へ至急ご注意!」。満州(現中国東北部)や朝鮮半島から博多港に向かう引き揚げ船では、こんな呼びかけで始まるビラが配られた。
「不法な暴力と脅迫により身を傷つけられたり……そのため体に異常を感じつつある方は……」「診療所へ収容し、健全なる体として故郷へご送還するので、船医にお申し出下さい」
全文を読んでも、どのような治療を行うのか明示されていなかったが、ソ連(当時)の兵隊などの暴行で妊娠していた女性には見当が付いた。
中絶手術。優生保護法が1948年に成立するまで、原則、違法とされた手術だった。
ビラを配ったのは、現在の韓国の首都ソウルにあった京城帝大医学部の医師たちのグループ。このグループは終戦後の朝鮮半島で日本人の治療に当たっていたが、ほとんどは45年12月ごろに帰国。引き揚げ者の治療を続けるため、
外務省の外郭団体「在外同胞援護会」に働きかけ、
グループ全体を「在外同胞援護会救療部」に衣替え。
46年2月、博多港に近い日本最古の禅寺「聖福寺」に、診療所「聖福病院」を開設した。
帝大医学部の医師たちが、なぜ、違法な手術を決断したのか――。きっかけは、暴行されて妊娠した1人の教え子の死だったという。このグループの一員で、京城女子師範学校で講師も務めた医師は、引き揚げてきた教え子と久々に再会した。しかし、話しかけても泣くばかり。両親から「ソ連兵に暴行されて妊娠した」と打ち明けられた医師は、グループの他の医師と相談して中絶手術に踏み切ったが、手術は失敗し、女性も胎児も死亡した。
すでに、博多港に着きながら、暴行されて妊娠していることを苦にした別の女性が、海に飛び込んで自殺する事件も起きていた。
外国人との間に生まれたとすぐにわかる子供を連れた母親が1人で故郷に帰り、新しい生活を始めることは極めて難しい時代。医師たちは、目立たない場所に別の診療所を作り、ひそかに中絶手術を行って故郷に帰そうと考えた。
医師らから提案を受けた厚生省(当時)博多引揚援護局は福岡県と交渉し、同県筑紫野市・二日市温泉の一角にあった広さ約420平方メートルの木造2階の建物を借り上げた。
旧愛国婦人会の保養所で、博多港から車で約40分。交通の便は良く、浴室にいつも温泉がわいている建物は医療施設としても好都合で、医師たちは医療器具を持ち込み、46年3月、「二日市保養所」を開設した。
厚生省が違法な手術を行う医療機関開設に踏み切った背景について、当時、聖福病院に勤務していた元職員は
厚生省が違法な手術を行う医療機関開設に踏み切った背景について、当時、聖福病院に勤務していた元職員は
「妊娠は、暴行という国際的に違法な行為が原因。国は目をつぶって超法規的措置を取ったのだろう」
と推測する。
京城日赤病院に勤務していた村石正子さん(80)(筑紫野市)は、45年12月に帰国した後、母親のふるさと・種子島で暮らしていた。「仕事を探しているなら二日市に来るように」。約3か月後、日赤幹部から1枚のはがきが届いた。
二日市保養所を訪ねると、京城日赤病院時代の看護師10人が集まっていた。医師から仕事の内容を聞かされ、風呂場を改造して手術台と戸棚を置いただけの“手術室”に案内された。宿舎としてあてがわれた2階の10畳の和室では、「中絶手術って違法じゃないの?」と話し合った。
だが、悩んでいる余裕はなかった。数日後、トラックが到着した。荷台に乗っていたのは、短い髪に汚れた顔、男性用の服をまとった人たち。「男か」と思ったが、下腹部の膨らみを見れば女性であることはすぐにわかった。
京城日赤病院に勤務していた村石正子さん(80)(筑紫野市)は、45年12月に帰国した後、母親のふるさと・種子島で暮らしていた。「仕事を探しているなら二日市に来るように」。約3か月後、日赤幹部から1枚のはがきが届いた。
二日市保養所を訪ねると、京城日赤病院時代の看護師10人が集まっていた。医師から仕事の内容を聞かされ、風呂場を改造して手術台と戸棚を置いただけの“手術室”に案内された。宿舎としてあてがわれた2階の10畳の和室では、「中絶手術って違法じゃないの?」と話し合った。
だが、悩んでいる余裕はなかった。数日後、トラックが到着した。荷台に乗っていたのは、短い髪に汚れた顔、男性用の服をまとった人たち。「男か」と思ったが、下腹部の膨らみを見れば女性であることはすぐにわかった。
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮_人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
「博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
「博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、
次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。
「正論」 平成17年 11月号
http://megalodon.jp/2013-0424-1402-06/fujisansaikyo.blog70.fc2.com/?mode=m&no=273
「正論」 平成17年 11月号
http://megalodon.jp/2013-0424-1402-06/fujisansaikyo.blog70.fc2.com/?mode=m&no=273
韓国政府は真実が書かれた都合の悪い本を発売禁止にした
「竹の森遠く」は、1986年にアメリカで出版されました。 2005年に韓国でも「ヨーコ物語」という題名で出版さ
れていますが後に発売中止となりました。 韓国にとって都合の悪い本なので、韓国政府は発売を禁止したのでしょう。
この本の内容は、大東亜戦争末期、朝鮮半島からの引き揚げ時、当時11才であったヨーコさんと家族が目撃した史実が書かれています。
れていますが後に発売中止となりました。 韓国にとって都合の悪い本なので、韓国政府は発売を禁止したのでしょう。
この本の内容は、大東亜戦争末期、朝鮮半島からの引き揚げ時、当時11才であったヨーコさんと家族が目撃した史実が書かれています。
韓国人らに追い回されて命からがら日本へ逃げ、韓国を抜けだす過程で日本人が韓国人に強姦され、暴力により日本人の人々が死んで行った目撃談です。
「So Far from the Bamboo Grove」は、1987年からアメリカの学校で社会科の教科書として採用されています。
続編の「My brother my sister and I」も、ニューヨーク・タイムズ最高賞、Publishers Weekly最高賞等多くの賞を受賞しています。 彼女の著書と講演に感動した多くの学生達の推薦により、1999年には、ピース・アビーから平和賞が贈られました。
この賞は、世界的に有名なガンジーやマザーテレサ等、平和に貢献した人達に贈られる賞です。
日本国民を本気で怒らせたので、真実はどんどん暴かれる 慰安婦捏造詐欺の裏
「竹の森遠く」は、敗戦後の朝鮮半島で日本に引き上げようとする日本人達が、現地の朝鮮人によって、殺人・強姦・陵辱の被害を受けるドキュメントタッチの小説(韓国題「ヨーコ物語」)で、
この物語がアメリカの推薦図書になっている
ので、在米韓国人社会と韓国本国で(小説も作者も)一大排斥運動が生じているのだ。
作者のヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏は、一連の騒動の後、在米国韓国人団体から助っ人を依頼された731部隊研究の世界的権威(と自称する)ダニエル・バレンブラットなる人物から、執拗な吊るし上げを受けた模様である。
ネイティブアメリカンを絶滅寸前まで追い込み、原爆で広島・長崎の一般市民までジェナサイドし、石油欲しさにイラクで好き放題を演じているアメリカ人が、正義派ヅラしてヨーコ氏に父親と731部隊の関係を迫るとは笑止千万だ。 大体、自分が奉じる正義に酔った人間が繰り広げる行動ほど、始末に終えないものはない。
ネイティブアメリカンを絶滅寸前まで追い込み、原爆で広島・長崎の一般市民までジェナサイドし、石油欲しさにイラクで好き放題を演じているアメリカ人が、正義派ヅラしてヨーコ氏に父親と731部隊の関係を迫るとは笑止千万だ。 大体、自分が奉じる正義に酔った人間が繰り広げる行動ほど、始末に終えないものはない。
韓国各紙のプレス発表から伺い知れることは、ダニエル氏ならびに在米韓国人社会が導き出したい結論は、「竹の森深く」を著したヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏の父親が、何がなんでも731部隊に関わった人間でないと困るようなのだ。
日本のマスコミでは、こうした一連の動きは一切報じられてはいない。
http://blog.radionikkei.jp/shimizu/140.htm (最後の htmの次に l が入りますので、恐れ入りますが確認してください)