韓国軍がやってるじゃん   http://www010.upp.so-net.ne.jp/jap | サファイアのブログ

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韓国が扱った慰安婦こそ本当の「性奴隷」

「自分の事は棚に上げるいつものヤツ('A`) 」


韓国軍は
北朝鮮の娘を強制連行して、韓国軍の従軍慰安婦兼女中としてこき使ったのだ。
それに
強制的にも詐欺的にも慰安婦を集めたそうで、証拠写真も掲載されている。
同民族と言いながら
敵味方での強姦や略
そこで被害にあった女性が、
多く慰安婦として合流していったという。
その一部が”慰安婦”に編入されたと言う。
これが本当なら国際条約とか糞とか関係ありません。
韓国軍人は
これら慰安婦に炊事や洗濯・家事、までさせていたという。
で、その結果として戦争が終わってみれば、
朝鮮戦争前の私娼数約5万が、戦後には30万人に増えていた、と、ちゃんと話の辻褄が合うわけです。


朝鮮戦争時の韓国軍に慰安婦制度があったことが、
「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会で明らかにされた。
発表したのは韓国・慶南大の金貴玉客員教授。
金氏は韓国の陸軍本部が1956年に編纂した公文書に
「固定式慰安所―特殊慰安隊」
の記述を見つけ、4カ所、89人の慰安婦が52年の1年だけで20万4560回
の慰安
を行ったと記す特殊慰安隊実績統計表が付されていたという。
(一人当たり2303回/年ですね。365日換算で1日辺りの性交が6.3回。凄まじい('A`) 。)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=24331&servcode=400§code=400
(中央日報)

オーマイニュース 2002-02-26
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=67635


韓国軍 '特殊慰安隊'は事実上の公娼?ハア?
[創刊 2周年記念発掘特種] 韓国軍も '慰安婦' 運用した ②

記者が忠南論山の
陸軍第2訓練所に入所した 1980年当時までにしても
論山訓練所垣根を越せばいわゆる '毛布部隊'にあえた。

当時、訓練兵だった記者が
'毛布部隊'を直接目撃したことではないが、訓練所助教や期間病たちは、
自分たちが '毛布部隊'と遭遇して '激戦'を行った '武勇談'をよく話したりした。

'毛布部隊'は訓練所垣根の外で
毛布一枚を '武器' にして、訓練兵たちを相対する娼婦たちの俗称。
こんな移動式私娼形態の毛布部隊員話は、美談や神話のように聞こえたりした。
しかし軍が直接慰安部隊を設置して運用したら問題が変わる。




▲韓国軍の朝鮮戦争期間 '慰安婦' 運用事実を
報道した日本 <朝日新聞> 2月24日付け記事.(太い船内)

去る 2月22日 <oh my news>に '韓国軍も慰安婦運用した'と言う
発掘記事の初回分が報道された以後、独自の反応は大きく三種類で分類することができる。

第一、軍医暗い恥部を公開して反省しようということ。
第二、旧 日本軍隊 慰安婦 制度とは違う公娼なので不法ではないということ。
そして終わりは、
公娼でも私娼でも軍が戦時に、士気高揚のために慰安婦を利用したのが何が過ちかと言うのだ。

この 2回分記事は、
主にその二番目反応と直結された返事を盛っている。

この発掘企画記事の初回分でよく見たように、
韓国軍が 1951年頃から 1954年まで '特殊慰安隊'という名前で、
固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したのは否認することができない歴史的事実だ。

そんな事実は陸軍本部が
1956年に編纂した公式記録である <後方戦史)
>(あいさつの方)と目撃者たちの証言に裏付される。

<後方戦史>に積まれた '特殊慰安隊実績統計表'
は 1952年度に 4ヶ牛どおり編成された慰安隊 89人が
年間 20万4560人の兵力を '慰安'したと記録している。

慰安婦 1人が一日平均 6~7人の将兵を慰安したのだ。
またチェ名臣・チァギュホン・ギムフィオなど、
予備役将軍たちも朝鮮戦争期間に経験した慰安婦制度に対して
"現わしたくない恥ずかしい軍部の恥部だが事実だ"と証言している。

もちろん、韓国軍慰安婦制度は
句日本軍 '従軍慰安婦' 制度を真似った跡にもかかわらず二つの制度は本質的に違う。

韓国軍慰安婦は、
慰安婦動員方式や規模などでも
句日本軍従軍慰安婦と比較にならないが、なによりも
後者は強制性を帯びている国家動員体制の一環で施行されたという点が違う。

しかし、その同じ根本的な差にもかかわらず
韓国軍慰安隊は設置同期や運営方式面で
日本軍従軍慰安婦制度を真似って似ている姿をしたことまた事実だ。

言わば慰安所の前で列をなして慰安婦を待つ軍人たちと
戦闘力損失を防止するために定期的に性病検診をする軍医の姿などは
日本軍従軍慰安所の風景と違うところないのだ。

また軍票(日本軍) 大臣にチケット(韓国軍) みたいな
対価が支払いされた取り引き形式に運用された点も外形上に似ている姿だ。
日本右翼はこれを立てて、余分の慰安所制度を一種の公娼制のようなことで正当化したりする。

しかし軍票は日本の主要銀行がいつでもお金で取り交わしてくれる一種の '有価証券'だった。

また公娼制が国家が女性の性を統制した場合なら、慰安所の場合は戦時展示という状況で、
国家よりもっと力強い力を発揮する軍が管理・運営の主体という点で被害女性たちに対する
人権染躪はもっと極甚になるしかなかった。


韓国軍 '特殊慰安隊'は事実上の公娼


ところで注目する事実は当時国軍が設置して運営した
この '特殊慰安隊'、すなわち固定式慰安所の性格が事実上の公娼だったという点だ。

言わば軍医公式記録には "休戦によってこのような施設の設置目的が解消されるに至って、
公娼廃止の潮流に順命して檀紀 4287年 3月これを一斉に閉鎖した"
(<後方戦史> 148~149ページ)つらくてある。

余分の自らが '特殊慰安隊'を公娼と認めているのだ。

短期(檀紀)を西紀(西紀)に換算すれば、慰安所を '一斉に閉鎖'一時点は 1954年 3月だ。

ところで 1947年 11月11日、米軍政庁が公布した公娼廃止領(法律第7号)の発效した時点は 1948年 2月からだ。

明確な記録はないが、慰安所設置時点は 1951年に推定される。

したがって軍は公娼廃止領にもかかわらず 1951年から 1954年まで約 3年間不法で
公娼を設置・運営した犯法行為をほしいままにした
のだ。

結局軍が
'公娼廃止の潮流に順命して慰安所を閉鎖した'と言う記録は、ふと見れば事実のようだが実際では
自分の犯法行為を隠蔽するために事実を巧みに歪曲したのだ。

軍は政府の公娼廃止領にもかかわらず、事実上の公娼を 3年間も不法で運営したけれども
'公娼廃止の潮流に順命して閉鎖'したことのように記録しているからだ。

それなら朝鮮戦争当時、余分の慰安所を設置・運営する犯法行為の主体は誰だろう。
これに対してはまだ明確な記録や証言を捜すことができない。
ただ韓国軍の '慰安隊' 運用事実を初めて申し立てたギムグィオック博士(慶南大北朝鮮専門大学院客院教授)は
<後方戦史>と予備役将軍たちの回顧録そして関連者の証言などを土台でこんなに主張する。

"'特殊慰安隊'、すなわち余分の慰安所は陸軍によって設置されたのは間違いない事実だ。

当時、韓国軍の作戦体系上余分の慰安隊の設置及び管理問題に対しての上では
国連軍の最終承認の下に運営されたことに推定されて、下では特殊慰安隊部隊長の責任の下に総括されたことと見える。"



国連軍の最終承認の下に運営されたはずだという推定は 1950年 7月韓国政府が陸・海・空軍の
作戦指揮圏を国連軍総司令官に委任したことに根拠を置いている。

しかし <後方戦史>も明らかにしているように、慰安所運営は電線ではない後方に限っていた。
また慰安隊のさばる作戦指揮圏の範疇に含まれないから国連軍の最終承認の下に運営されたはずだという推定は説得力が劣ったように見える。

しかし当時国防省と陸軍の首脳部はこのような不法行為の責任で自由ではないようだ
(国防省に合同参謀会議の設置された時点は '特殊慰安隊'を閉鎖することわずか一月前の
1954年 2月なので、合同参謀は慰安婦設置・運営の係線上から除かれる)。



▲ チョ_ン・イルグォン前陸軍参謀総長。
朝鮮戦争当時日本軍 '慰安婦' 制度を真似った
'特殊慰安隊'を軍に設置した不法行為の核心責任者中の一人に推定される。


慰安所を設置・運営した時点の歴代陸軍参謀総長は
△5代 チョ_ン・イルグォン中将(1950. 6~1951. 6)
△6代 李鍾賛中将(1951. 6~1952. 7)
△7代 バックソンヨブ大将(1952. 7~1954. 2)
△8代 チョ_ン・イルグォン大将(1954. 2~1956. 6) などだ。

1951年に推定される設置時点で見れば
チョ_ン・イルグォン・李鍾賛二人の総長の一人だ。
1948年創軍当時の軍首脳部人脈が
大部分日本軍・関東軍出身だったが、二人の総長皆日本陸士出身だ。

朝鮮戦争時代に慰安婦制度を目撃したギムフィオ将軍(予備役陸軍所長)の
"過去、日本軍隊従軍経験がある一部連帯幹部たちが部下詐欺高揚のための発想から始まったこと"
という証言はそれに対する手がかりを提供する。

ギムグィオック博士も
"軍隊慰安婦創設の企画者が確かに
日本軍や関東軍出身者とか彼に影響を受けた者に推正することができる"と明らかにする。

余分の関係者たちは、
李鍾賛総長が 1952年釜山政治波動の時、
軍医政治的中立を力説した '本当に軍人の象徴'で見なされて来た点に映して、
一応チョ_ン・イルグォン総長の方に余分の慰安隊設置・運営可能性の比重を大きく置く。

一方、当時、国防省長官の中では
第2代シン・ソンモ長官(1949. 3~1951. 5)か
第3代イギブング長官(1951. 5~1952. 3) の一人が設置を承認したことに推定される。


韓国軍慰安婦、これらはだれか?

それなら果して軍隊慰安婦、これらは誰だろう。

ところで既存の資料どこにも慰安婦正体に対する言及はない。

ギムグィオック博士によれば、
ただいくつかの文献では少なくない帰還日帝余分の慰安婦たちが
朝鮮戦争当時、性売買業で流れて行ったという経験的陳述による推定だけあるだけだ。

1996年から束草で越南民研究をしてから、
初めて韓国軍慰安婦問題に対して関心を持った関連者たちを
インタビューして来た金博士の推定によれば慰安婦の正体と類型は何種類で分けられる。

金博士がまず注目したことは、たとえ小規模ではあるが
日本ミリタリズムの '慰安婦' 募集形態を瓜二つな形態の慰安婦が存在したという事実だ。

それはちょうど北罷工作院と慰安婦の '不幸な出会い'だった。
匿名を要請した北罷工作院出身人士とのインタビューを通じて
金博士が明らかにしたこの一番目類型は拉致と強姦によって '慰安婦'になった事例だ。

ムンアムゲ(69) さんは 1951年 5月頃、
原産前海にある島で他の女性同盟院 3人と一緒に集まっている途中、
当時原産前海の女道で諜報工作活動をした北罷工作院たちに拉致されてから
なかでも一人(李何某下士官)に劫奪あった後強制で '慰安婦'になったケース。

門さんは結局 1953年 7月に停戦になるまで
女道で以下士官の子供を生んで一緒に暮した。

一緒に拉致された他の女性たちも、
昼には軍人たちのご飯と洗濯をして、
夜には '慰安婦'にならなければならなかった。

こんな事は隣近羊度でもいた。

金博士によれば門さんを拉致した北罷工作院催何某さんは
"部隊内に慰安婦を連れていることは過ちだが、'私たち'が '日本軍'とは違わないか、
私たちとは血が通わないかであり拉致した慰安婦問題に対する説明を濁ごした"と言うのだ。

また他の類型は、本隊と落ちて
独立的に炊事生活をしなければならなかった
北罷工作院部隊員たちが '慰安婦'を雇ったケース。
金博士は自分の論文でこれらの正体に対してこんなに明らかにしている。

"北罷工作院 1は余分の慰安婦たちは
職業的に身を売る女性たちだったと一蹴した。
北罷工作院 2度ここに同意した。

ところで北罷工作院 1や 2行っていた
原産先に進むに慰安婦で全女性は
'その島へ来て郡だって飯をたいて洗濯してくれてほしい元金新調することができる'
と言う話にだまされて来たと、工作員 2は行き違う証言を言った。

戦争未亡人として生活苦に苦しみながら、
一種の 'だね労務者'になったことは彼の選択だったと言っても、
軍隊慰安婦になったことは断ることができない強制的な状況で起こった事だった。
なおかつ拉致された女性たちに選択権や拒絶圏は与えられなかった。"



▲ 朝鮮戦争期間に韓国軍と米軍が逮捕した人民軍看護婦 2人。
当時逮捕した北朝鮮女性の一部はレイプされるとか強制で '慰安婦'になった。




1950年当時医科大学生だった李何某(73) さんは、
拉致または強要によって軍隊慰安婦になる所だったまた他の女性の事例だ。

6・25 当時ソウルに残ってから
人民軍に協力したことから国軍に逮捕したこのさんは、
他の女医大生 3人と一緒に引き継ぎされた部隊の将校 4人に '割当'になった。
このさんは、幸いに自分を可愛想にここは
一将校の助けで釈放されたが、他の 3人はあの時以後二度と見られなかった。

拉致または強要によって事実上の軍 '慰安婦' 役を
一事例は多くないが朝鮮戦争に参戦した予備役将軍たちの回顧録にも一部登場する。

1951年 8月陸軍いわゆる(総合31期)に任官して
1984年 8月陸軍所長に予編したギムフィオ将軍の回顧録 <人間の香り>(2000年)がそれだ。
1951年 8月任官するやいなや、
東部戦線首都社団(師団長ソングヨチァン)に倍速されて
香炉峰戦闘に参加したギムフィオ将軍が当時に導いた小隊院たちは
大部分首都社団が咸境道に進撃してから中共君の介入で興南撤収作戦の時に帯同
越南した主に咸興-原産地域高校出身の現地入隊青少年たちだった。

ところで当時国軍は男子学生たちだけではなく、
一部女子高生たちも '特殊目的'で帯同越南したことと見える。



北朝鮮女性拉致して '慰安婦'で利用したり


ギムフィオ将軍の回顧録によれば、
以後前線をすり抜けて来た首都社団は 1951年 11月~1952年 4月智異山工費討伐作戦に動員されて当時南原に位したバックソンヨブ将軍が導く西南誌で戦闘司令部隷下主力部隊で 8社団などと合同で作戦に参加した。

金将軍は小将時代討伐作戦途中に
智異山の戦闘地域指揮所で目撃した光景をこんなに記録している。


"大隊長天幕の中で分明して
戦闘服を着した少女一人が出て伸びを伸ばして体操をしているのではないか!
先任下賜にどうする英文なのか問って見たら、
大隊長が北進当時咸興女子高生を愛妾で連れ、
撤収して作戦期間の中でスンチョ_ンに仕えてから最近 OPで伴ったというのだった。
数日後代代丈室で手水大領指示があったのか当番兵が飯ごうで水を暖めて持って行っていた。"



▲ 朝鮮戦争直前に当時 38線以南である
壅津半島を訪問して女学生たちの迎接を受けたUN現場視察団。
1950年 10月~12月北朝鮮地域を占領した米軍と韓国軍の一部将校たちは
中共軍の介入で後退しながら一部女学生たちを '特殊目的'で帯同越南したことで現われた。


金将軍は当時行軍する時、
綿布団寝具と女化粧品箱が戦闘小隊院の貸し下げをの中で
リュックサックの上にお負けで載せられて行く悲しい現実を首都して怒ったが、
占領地での強姦と拉致は実はたくさんある状況だった。

'軍隊慰安婦'になる所だった前の李何某さんと
国軍出身で人民軍解放戦死になった非転向長期囚量定号さんや
他の国軍出身者たちの証言によれば、国連軍と国軍は 1950年 10月~12月
北朝鮮地域を占領したうちにかなり多い数の民間女性たちを劫奪したことと見える。
これに対してギムグィオック博士はこんなに推正する。

"特に左翼賦役疑いがいる若い女性に対する強姦は
実際及び仮想的に対する統制及び悉歯方式の一つだった。
非公式的に 1950年にも軍隊慰安婦や慰安隊は存在したことと見えて、
むしろ軍医風紀紊乱を憂慮して 1951年以後余分の慰安隊を公式創設したし
一線軍部隊でも非定期的に軍隊慰安婦を動員したことと見える。"



そしてこのように
民間人強姦と拉致によって
もう '慰安婦' 生活を経験した女性たちのかなり多い数は、
自暴自棄の心情で私娼で流れて行ってから再び '軍隊慰安婦'という
公娼に編入される悪循環を繰り返えした
ように見える。

予備役将軍たちが憶えるまた他の類型は、
売春町から仕こんで来た貧しい女性たちに関するのだ。
こんな女性たちに対する '慰安'の対価は買うという恤兵部も開くんだってあいさつ先で出費したというのだ。

しかし、
これらの証言でも現われる明らかな事実は
戦時の下に特別慰安隊を利用すること以外にも
前方の部隊たちは必要の時軍隊慰安婦を採用することができたならことと見える。

それでギムグィオック博士は
余分の政府が明らかにした慰安隊廃止時点に対しても次と問題を申し立てる。


"軍部隊が公式運営した
公娼としての慰安隊は 1954年 3月に消滅したのか分からないが、
北罷工作院の証言では事実上の慰安隊が存在している。

その慰安隊は私娼の形式で存在するが、
軍部隊が公式的な '厚生費'の名目で出費して
北罷工作院に対する褒賞の形態で存在して来たようだ。"


それなら朝鮮戦争当時韓国軍慰安婦の規模はどの位だったろうか。

ギムグィオック博士は
"現在としては朝鮮戦争当時公式・非公式的慰安婦規模が分かるあてがない"
と前提しながらも "ただ戦争直前私娼の規模をしのぐと推正するだけだ"と言う。



▲ 朝鮮戦争期間後方で進行された
'ズィザブギ作戦'(工費討伐作戦)で生け捕りされた女性ゲリラ。
これらの中一部は軍 '慰安婦'で動員されたはずだという疑惑が申し立てられている。


ところで関連記録によれば、
1947年 11月米軍政庁が公娼廃止領を発表する直前の
1947年 10月20日現在の公娼の規模は 2124人だった。

しかし翌年 2月公娼廃止領が発效した後人
1948年 10月末になると私娼は 5万名余で急増する。
また朝鮮戦争が終わった後、性売買をする女性は 30余万人で増える。

公娼が廃止されながら私娼は急増したのだ。
一部女性学者たちは、このように性売買女性の増えたことは
生活苦だけではなく '日帝末期数千名医慰安婦たちが解放以後、
故国に入って来て生計を引き継ぐことができなくて娼妓と転落'したところも原因があったことに推定される。

しかし他の一方では前で例であげた場合のように、
民間女性たちが拉致と強制の形態で慰安婦になった事例もあったのだ。
次は金博士の指摘だ。


"もし一足譲歩して軍隊慰安婦が過去に球・私娼出身だったと言っても、
朝鮮戦争戦前 5万名余の球・私娼が戦後に 30余万人で増えた問題とかかって見る時、説明されない。

軍隊慰安婦がどんなに動員されたし、その規模はどの位だ増えたかに対して、
確かに糾明することはできないとしても、まだ朝鮮戦争当時軍部責任を引き受けた者等が
生存しているので、政府政府はこの問題に対して真相を糾明する責任がある"




■更に国連軍の為にソウル市役所が慰安婦の登録を開始するお知らせ。




1961年9月1日 東亜日報

国連軍の為にソウル市役所が慰安婦の登録を開始するお知らせ。

韓国政府は公式に慰安婦募集に関与していましたよね?

一体、どの面下げて人の国を批判できるんだろうか?