コロナ禍での保育園卒園式
式は簡略化、参加も各家庭1名のみと寂しい気はしましたが、無事に終わってほっとしています
今日の思いを残したくてこちらに記す事にしました
上のお兄ちゃんは3年間幼稚園に通いました。
その間に私がパートを始め、下の娘は保育園に入れたいなと思っていました。
運良く保育園に入れましたが、兄が年長、妹が2歳児の時の1年間は、幼稚園と保育園の2か所に送迎する毎日でした
しかも幼稚園ではクジで役員になってしまい今思い出してもよくやっていたなと思います
娘は小さい頃からよく分かる子でした。
分かる子という表現が正しいのか分かりませんが、自分の周りの環境や周りの人の気持ち、周りの空気を察する事ができるという感じです。
なので、2歳児の頃から私と離れる時は毎朝泣いていました
兄は訳わからず幼稚園に行き(笑)その場を楽しみまた帰ってくるという平和な感じでした
最初は本当に寂しくて泣いていたと思いますが、だんだん「泣くと大人に甘えられる」という知恵をつけ、泣いていたように見えました
それでも年少になる頃には泣き止むだろうと思って毎朝後ろ髪引かれる思いで預けていました。
が年少になっても年中になっても泣かずにバイバイできたのは月に一度くらいで…
娘を預けた後、車の中で泣いた事もありました。
「何でうちの子は笑ってバイバイができないの…」
「私が家であまりかまってあげないから泣くのかな…」
笑顔でバイバイタッチしている親子が羨ましくて泣きました。
それでもお迎えに行くと先生からは毎回「お母さんが行った後はすぐ泣き止んで楽しんでいました」と聞いていたので、そこは安心でした
そして年長。
最初の1週間くらいは頑張っていましたが、また泣きが始まりました年長まで泣いてるなんて想像していなかったので、もうそのしつこさ?しぶとさ?に感心してしまう日々
でもやっぱり笑顔でバイバイしたい
気持ちよく仕事に行きたい
と思いながら月日は流れ、泣くのが週に2日くらいになりました。
そして2月後半くらいからは、ついに毎日泣かずに登園できるようになりました
夢にまで見た笑顔でバイバイ
娘が私にくれた、気持ちよく出勤する1ヶ月でした
そんな4年間だったので、今日のしっかりした姿を見て涙が止まりませんでした。
終わりよければ全てよし
まさにその一言に尽きます。
一緒に登降園した4年間
大変だったけど、大切な時間でした
来月は入学式、習い事の発表会も控えています。
今日もそうでしたが、生理がない事でイベントに集中して参加できました
筋腫があった頃は、そういう行事に生理がぶつかると、ナプキンを持たないといけない、途中でトイレに行かないといけない、出血が気になって集中できない、、、等それ以外の事を考えないといけなかったのが、今はその心配がありません
今日もまた、子宮を取った事を良かったと実感した日でした