その後の症状、後遺症を日記にと思っても
ちぇりーが起きてる時は無理で
ちぇりーが寝ると今だ!と少しでも仮眠

その後はコツコツ残す事にして今を

あれから泣き声、甘え泣きに怯えながら過ごす

未來が脳を擦り減らしてた状態と同じく
ちぇりーの脳、母ちゃんの脳も毎日がパニック

夜中も気になって寝れず落ち着かない

睡眠の質 変化
死んでのか?と思う様な睡眠
起きてるのか?と思う様な睡眠


発作日 ☂️

ずーっと泣いてて玄関先で



発作の翌日











今日

出勤時は寝てくれて短時間のパートへ

帰宅後は

甘え泣き、訴え泣き、ずーっと泣き止まず

様子を見ては外に出たが

外で発作がおきそうな感じになり

何度も様子を見ては公園との往復





食のムラはあるが一日の量は完食

ウンチの色が違った

焼き芋を少し混ぜたからだろうか

血便では無いので様子見



やはり外が好き
カート内での踏ん張りがなくなり転がる
ちぇりーも不安で泣くからベッドを入れ込む


まだまだ回復とは言えない
発作は数秒、体の震えも少なかったが
発作は発作だと思えた
以前の後遺症と比べたら少ないが
今回も後遺症は残った






未來の命日前から
ちぇりーの体調が乱れる、狂う


20日、母の体も狂い出す
口が不味くて夜中に起きた時に炭酸を飲んだ
体中が痛くなり自分でも驚いた
初めてのこと
体中に炭酸ガスが入った感じ

朝、ママの御飯が終わって帰る時
酷い眩暈に襲われて物にしがみ付いた

無理が出来ない年齢になったもんだ
まだまだ若いと思ってても体は正直
正直に、素直に生きろってメッセージかな

19日ごろから
ちぇりーの乱れが落ち着き始めた
昨夜もグッスリ寝て今朝も自然と起きた

10年に一度の高温、気圧か?
クリスマス、新年を迎えるのもダメなのか?
そこまで思った乱れだったが発作は無かった

3月、5月、8月発作の間隔は長くなってる

ちぇりーは朝御飯を終えゴロゴロしてたから
忘れる前に日記と思った矢先
甘え泣きが始まり抱っこした途端
発作が始まった

21日 7時29分

軽くて直ぐに終わったから
薬は入れずに終わった

朝のてんかん薬、心臓の薬を飲んだ数分後
だから軽くて済んだのかな

数日間のちぇりーの顔を












サンタさんへ
ちぇりーに安らかに過ごせる時間を
プレゼントしてください

全盲の未來

この世で沢山沢山苦しんだ分
今は楽しい時間を過ごしてると思っています

母と出会って幸せだった?とは聞けないけど
母は幸せだったとハッキリ言えます

泥胆にさせ
ヘルニアにさせ
全盲にさせ
歩くことさえ取り上げ
自分は最後まで親の責任が果たせなかった


今でも何故コンニャクになってしまったのか


脳腫瘍が爆ぜたんだろうの推測しかない


全盲にさせなかったら

脳への負担は少なかったはず


金儲けのブリーダーさえ居なかったら

適合されない交配はされなかったはず

(御先祖)


得た金と引き換えに

子孫が背負った病、異常、奇形



辛い思いをさせる為に産まれたんじゃない

それだけは知って欲しい


りくママがね

蓮、天、未來、海のママになりたいと

体調を崩して訴え続け

自分も親になる覚悟を決め

望んで誕生した命達



未來の純粋な心は綺麗だった


家族が病めば寄り添い

体を舐め、体を重ね合わせ温め続けた


そんな未來は

大好きな弟を追いかけていってしまった



こんな母でも

いった時には迎えに来てくれるかな