結構前の小説?ですが、僭越ながらUPしようと思います。
データ消えたら嫌なので、記念に。
※長いよ!疲れるよ!
Sea and Ocean
「おじさーーん」
海月は浜辺を走りながら、海を眺めている男の背中に声をかけた。男はゆっくりと振り返り、あぁ、と呟くと口に咥えていた煙草を携帯灰皿にこすりつけて消した。
「今日もいたー」
「明日も来てと言われちゃあな」
男とは数日前にこの浜辺で知り合ったばかりだった。どこか寂しそうに海を眺めていた男に海月の方から声をかけたのだ。夏休みに入り暇をもてあましていた海月にとっては嬉しい話し相手だった。
「おじさんはどうしてここにいつも立ってるだけなの?泳がないの?」
今はまだ早朝なので人も少ないが、昼になるとここは泳ぎに来た観光客でいっぱいになる。だが、男は泳ぐつもりは全くないようだった。
「生憎カナヅチでな」
海月は聞きなれない単語に首をかしげた。
「カナヅチって?」
「泳げないってことだよ」
「えーー変なの。大人なのに?」
男は、この娘は大人だったら何でも出来ると思っているのだろうか、と考えながら嘆息し、海月の勘違いを正してやる事にした。
「大人でも出来ない事はある」
それに、と男は付け加えた。
「海は見ているほうがいい」
まただ、と海月は思った。ふとした時に男は初めて会ったときのようにすごく寂しそうな顔をする。海月は気づいていないふりをして
「泳ぐと冷たくて気持ちいのにもったいないよ」
と砂をけりながら反論した。
翌日、海月が海に行ったのは太陽がじりじりと肌を焼く真っ昼間で、ひどく暑かった。海月が暑い暑いとへばっていると、男はかき氷を買って海月に手渡した。
お礼を言って受け取り、座ることができる日陰の場所を2人で探している時に海月はあることに気がついて男に話しかけた。
「そういえば、おじさんの名前何て言うの?」
「そういえば言ってなかったな。……タイヨウだよ」
海月は暑さの原因を指で示しながら言った。
「おひさま?」
「違う違う。大洋。大きな海って意味だ」
男は地面に漢字を書いて言った。海月は字を見ながら、その名前が男にとても合っていると思った。
「あたしの名前はね、」
名前を言おうと口を開きかけたそのときに、日陰を発見して地面に座り込んだ男のポケットから何かが落ちたのが海月の目に入った。
「おじさん、何か落としたよ」
拾って見てみると、それは赤ん坊が写った色あせた写真だった。
「赤ちゃん……?」
男は気づいて、大切そうにそれを受け取ると再びポケットにしまって言った。
「……俺の娘だよ」
「おじさんの?」
「もう長い間会ってないけどな。多分今頃は……ちょうど君ぐらいの年かな」
男は海を見つめながら続けた。
「すっと前に、置いてきたんだ」
海月は男が自分じゃないどこかもっと遠くの方に向かって話しているように感じた。
「俺は昔最低な奴で、パチンコで莫大な借金ををつくって親にも妻にも愛想をつかされてな。当然娘は妻に取り上げられた。……まぁ当たり前だ。それで父親の資格なんてとっくの昔になくなっているのに、俺はまだ未練たらたらこんな写真をずっと持ってる」
かっこ悪いだろ、と言って男は笑った。
もしかしたらおじさんはずっと誰かにこの話を聞いて欲しかったのかもしれない。
それに、おじさんはきっともう1度あの写真の女の子に会いたいんだ。
海月はそんな事をぼんやり考えていたが、自嘲的な男の笑みがひどく痛々しそうで、何か声をかけなければならないという気持ちに駆られた。
「……いきなりこんな話をして悪かっ…「あのね」
謝罪しようとしている男の言葉を海月は無理矢理遮った。
「あたし難しいことはよく分かんないけど、もしあたしだったらお父さんが悲しそうだったら嫌だよ」
男は一瞬とても驚いた顔をして、寂しそうに笑った。そして、少しの沈黙の後、
「……君の名前は?」
さっき聞き逃したからな、と付け加えて尋ねた。
海月は満面の笑みで、
「海月!あたしの名前は海月!」
刹那、男の顔が驚愕に染まった。
「み……づき……?」
海月はその表情のわけがわからないまま頷いた。
「……漢字は?」
「えーっと……確か“うみ”に“つき”だってお母さんが言ってた気がする…」
男は俯いたまま
「…………そうか」
と言って海月の頭に手をのせた。
横から伺うように見ると男の唇は震えているようだった。
家に帰ってからも海月は何故男があんな顔をしたのか精一杯考えたが分からないままだった。仕事から帰ってきた母が
「隆くんのお母さんが言ってたけど、海月あんた最近海でよく男の人と話してるんだって?お母さん仕事であんたに付きっきりでいられないんだから心配させないでよ」
と尋ねてきても生返事をするだけだった。
「……お母さん、お父さんってどんな人だった?」
男のことがふと頭をよぎって記憶にない父の事を尋ねると、
「どうしようもない人だったわよ」
と、母は即答した。そして、少しだけ懐かしそうに笑うと
「でも、不器用で、優しくて、すごく……傷つきやすい人だった」
胸が高鳴った。小さな予感が頭をかすめる。
「……名前は?」
「あんたがあの人の事をこんなに聞くなんて珍しいわね。たしか、タイヨウよ」
「……大きな海?」
母は不思議そうな顔をして、
「そう、大洋。でも、よく分かったわね」
体中が心臓になったみたいだった。小さな予感が徐々に確信に変わっていく。
「……うん、なんとなく」
海月は答えながら、明日も海に行く事を心の中で誓っていた。
翌日はとても早く目が覚めた。昨日の男の横顔を思い出すたび、海月はずっと胸の中で嫌な予感がしていた。
母に気づかれないように家を抜け出して、朝の街を走った。冷たい潮風が体中を吹きぬける。一晩経っても整理できなかった頭ががんがんする。
おじさんはきっとあたしとお母さんに会いに来ていた。
それならなんで。どうして。
あたしの名前を知ったあの時、あたしが娘だと知ったあの時に、自分がお父さんだって言ってくれなかったんだろう。
あたしはきっと心のどこかで、会った事のないお父さんとおじさんを被せていた。
お父さんがいたらきっとこんな感じなんだろうなって。
だから。
「他人」としてじゃなくて「親子」として話がしたいのに。
まだ話したいことがいっぱいあるのに。
海月は浜辺に辿り着き、息も絶え絶えで叫んだ。
「おとうさんっ」
返事はなかった。
海月はゆっくりと浜辺を歩き辺りを見渡した。すると、足元に砂を掘った細い溝が何本も交わっていた。よく見てみると、それは文字のようだった。
何度も何度も足で消して書き直した後がある。
それは、お父さんがもうきっとここには現れないだろうということを表していた。
海月は1文字1文字ゆっくり口に出してそれを読んだ。
「ありがとう」



