賢い人はズル賢い、人智の及ばない自然の事象を誰かがさも操作しているがごとく人々に説き信じさせ、一方で自分の知的欲求のみのために知識を集めようとし続ける人々もいて、その顕示欲の一部に多くの人々は知恵を長い時間をかけてちょっとずつ得て、初めて見えざる手などない事実を理解し賢いものの仕組んだ世界に気付かされる、でもその時にはもっと先まで賢い人々はいってしまっているのでいつまでたっても宗教と科学は無くなりしないのだ。

物事を沢山抱えると順番に思い付いた時に片付けておかないと必ず一つや二つ抜け落ちてしまう、メモに残してあっても時系列を忘れるともうメモ内容は過ぎ去った物事だったりして実行しなければ意味はあまりない、結局空気を読まずに思い付いた時片付けてしまわないといけないのだ。
自然の力は圧倒的でホームには屋根に当たって霧状になって吹き込む雨と小さな雹が跳ね回り、辺りの空は合間なく雷光と豪雨で薄紫に覆われていて閃光に包まれるたび、轟音で空気が震え、怯えるように人々は車両に飛び込んできては動かないと分かると酷い状態のホームへと戻っていく、一時間もすると列車は運行を再開し顔ぶれが若干変わった以外はさしてかわらない日常に戻るだけなのだ。
移動続きの日々、道すがら考えても一日を意味を持たないものにしかしない思考をするのは、車窓を流れる景色に面白みを見い出せないでいるからなのかと酷暑の中で思ってみたりする。
いきなり集中豪雨の被害だらけだった梅雨は明け、昨日までの雨空はどこへいってしまったのかというくらいの青空と酷暑から夏は始まった、だからといって今年の夏に特別なにかが加わるとかそういうことも実感としてはなく、冷夏以外のその他の経験してきた夏となんら変ることのない、暑くて当たり前の夏が始まるだけなのだ。