stargate_boyのブログ
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ともだちってなんだろね

ともだちは、つらいときにささえてくれる。
ともだちは、たのしいときにいっしょにいてくれる。
ともだちは、せなかをそっとおしてくれる。

それは、ぜんぶ「じぶんから」みたともだちでしかない。
それは、ユートピアにしか存在しえない、マザーテレサのような人。

けんかするときもあるし、
疎遠になったらなったままだし、
実は言えないことだっていっぱいある。
陰口だって言い合ってるのかもしれない。

でも、それでもいっしょにいて楽しいのがともだちなんだよ。
むりに好きになろう、とか
むりに一緒にいよう、とか
そんなの、ちがうんじゃないかな。

すむところがかわったり、
がっこうがかわったり、
はたらくところがかわったり、

そんなことで一緒に過ごす時間はどんどんゼロに近づいていく。
価値観もどんどん変わっていく。
気まずい沈黙が増えるかもしれない。
いつかは終わってしまう可能性が高い関係性なんだ。

だから、むりはしなくてもいい。
きみはずいぶんがんばってきたみたいだから。
ひとりがずいぶんこわいみたいだしね。

たいせつなともだちは、
きみという人間の特徴を目印にしてやってくる。
だからきっと余計な飾りや鎧を身につけている君をみても、
見つけることができないんじゃないかな。

いいよ。だいじょうぶだよ。
ゆっくりでいいから、
すこしずつあしをうごかしてみようよ。


だって、

きみ、

かわりたいんだろ?



終わらない螺旋階段

いつからだろうか。

生きてることに喜びを感じなくなってきたのは。

束の間のバカ騒ぎも、親友との語り合いも、映画も、美術館も、読書も、

時間を埋めていく材料の一つに過ぎない。

いつからだろうか。

それが自分のやりたいことだと、

それが自分が目指すものだと、

ファンタジーを紡ぎ出すようになったのは。

大事なものは、全て捨てたくなる。

後でどれほど悔やむことになろうとも。

ほら、あの時も、あの時も、あの時もそうだろ?

恐いんだよ。恐くてたまらないんだよ。失うのが。

もっと厳密に言えば、

人との繋がりに何かを求めることはしたくない。

きっと、数年前に引き金がひかれた時から。

甘い。自分は、僕は、俺は、いつだって誤魔化してきた、自分を。

一瞬の快楽で、自分を騙し続けるしかないんだ。

ぼくはいったいどこに行くんだろう?

そうやって、たまらずに眠れない夜。

息をするのが苦しくなる。

自分の為に流す涙はとうに無くなった。

あとはこの階段をいかに登っていくかだけだ。

その行為自体を認識することがないように。

image

つながり合うイメージ、ほどけ合うイメージ

自分の身の回りの出来事がまるで小説のように記述され、
それが一つの作品になり、自分が単なるキャラクターになる

つながり合うイメージ、ほどけ合うイメージ

日常生活からの逸脱は、結局予想できる範囲の延長線上に位置するだけ

つながり合うイメージ、ほどけ合うイメージ

自分の中に確認できる狂気は、理性になりそこねた価値観なわけだ

つながり合うイメージ、ほどけ合うイメージ

それは冷たい現実への絶望と、抱いている理想像との対に似ているのかもしれない

つながり合うイメージ、ほどけ合うイメージ

言葉にすることは物事をつまらなくする驚異的な力を持つ半面、
つまらないことを素晴らしく見せる力を併せ持つ
結局この世はファンタジー

つながり合うイメージ、ほどけ合うイメージ


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死の捉え方について

僕は小学2年生のころから死について考えるようになりました。
そのことを考えるだけで、
まるで宇宙や時間に思いをはせたときのような
おなかが凍える気持ちになり、
一瞬で頭がホワイトアウトしてしまうことが多々あります。

もちろん、その時々によって、
「考えたってしょうがないし、死ぬことより生きることの方が難しいの
だから、生きることについてもっと考えよう」
とか、
「死んだ時には死んだことすら知覚できないのだから、考えてもしょうがない」
とかいろいろな答えを出したのですが、
やはりそれは考えることからの逃避になってしまい、
自分で納得することはできませんでした。

その中で、最近色々な物を見聞き、経験していくうちに、

大きな川の流れに戻る

という捉え方をするようになりました。

人生なんて、川に浮かぶ小石のようなもの。
仏教的な死生観に近いのかもしれないけど、
それが真実なのかもしれないな、と思っています。

ヒトの誕生を顧みるだけで、
自分が生を受けて生きていること自体が神秘に満ち溢れている

一度生を得て、死なないものはありません

両掌を打ち合わせて、音が聞こえるまでの間のような、
そんな一瞬を生きる僕たちは、
一体、その人生の中で何をすればいいのでしょうか

その答えは決して見つかることはないでしょう。

何かにすがって生きるのはもうやめて、
そんな偶然性の塊を噛み砕きながら
目の前を走り去る時間を愛でてみたらどうでしょう


人生に意味を見つけようとするから苦しむんだよ。
そんなものは誰かが作り上げたもの。
自分の都合のいいように生きていればいいじゃないか。

それはもちろん自分勝手に、という意味ではなくてね。

楽しまなきゃ!とか
幸せにならなきゃ!とか
そんな強迫観念はたかだか自分で勝手に信じている価値の一つにすぎない。

やりいいようにやろうよ。

君はもっと安心していいはずだよ。



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人間関係について

人間誰しも、「誰にも嫌われたくない」って思うことってあるよね。
しかも、それが確実に不可能なことが分かってるのに。

もちろん、社会生活を営むためには
譲歩したり、自分の意見を曲げることが必要なこともあるけど、
それが親友といるときだったり、恋人といるときとかにも
同じように自分を抑えて関係を保とうとすると、
どんどん苦しくなっていってしまうよね。

嫌いな人を好きになるのは、好きな人を嫌いになる以上に難しい。
でも好きになるように頑張ってしまう。
そして挙句の果てに疲れて、人と接すること自体嫌になる。
そんな負の循環からいい加減抜け出してみない?

別に嫌いなら嫌いでしょうがないじゃん。
そこは変えるべきところではないはず。

嫌いだけど、接しなくてはいけないときがあったとしても、
別に好かれよう、と思わなければ行動に変わりはないはず。
そこで相手に嫌われないようにしなきゃ、って気を遣うから疲れてしまうんだ。

そうすれば、本当に好きな人に好かれたい、って思う気持ちも強くなるんじゃないかな。
色んな人に会ってみたい、って思えるようになるかも!

人を大切にする、ってことの前提条件は、
自分を大事にすることだと思うから

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