クラゲ専門店atollaのブログ

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クラゲ専門店の代表です。もともと水族館の職員でした。
クラゲやイカ、タコ好きはぜひ





母が天国に行きました。卵巣がんでずっと闘病していました。見つかった時にはステージ4,途中腹水が消えるという信じられないようなことはあったのですが奇跡はなかなか起きないから奇跡なんだなと思いしらされました。ほぼ余命どおりでした。弟の時も余命どおり。現実は厳しいものです。自分の家族は余命なんか関係なく生きるんじゃないかと思いたいですが毎回裏切られます。母はカトリックで神を信じていたので今頃四男と会えていると思います。

ふとした瞬間急激な寂しさが襲ってきます。目が覚めて夢じゃないんだなという実感も。30代で祖父母、両親、四男と家族をこんなにも亡くすとは思いませんでした。本当に長いようで短い闘病五年間でした。遠く離れた神奈川県のため二男、三男がお世話とか色々動いてくれていました。次男、三男は本当に大変だったので感謝してもしきれません。
自分は帰れるとき帰ったつもりでしたが今考えると後悔は色々でてきます。もっと〇〇しとけばよかった。が無限にでてきます。
がんになる前は親とは仲は良いゆえにメールも『了解』『はーい』くらいでしたががんになってから何かと用もないのに電話したり少しでも親孝行しなきゃと美味しいもの送ったりと親と向き合う時間が増えたのでいきなり突然死んでしまった四男とは違い長い心の準備ができたのは良かったのかもしれません。年末年始はクラゲの展示で稼いだお金で最後の家族旅行に連れて行くことができました。
本当に小さい時から自分の好きに生きなさいといつでも応援していてくれました。クラゲは癒されるねーとか手品がんばれとか。。忍者の訓練も笑いながら応援してくれてました。イッテQの番組にもでた時も友達とかに嬉しそうに宣伝してたみたいで(葬儀の時に母の友人達にききました)。ここ一、二年でバタバタと祖父、祖母も亡くなってしまったのでだいたいの死んでしまう雰囲気も本能的にわかるようになってしまった。今回もこれが最後になるだろうなと思って会いに行った時、感謝の気持ちを言葉で色々伝えたかったがなかなか面と向かっては言えず刻一刻と福井に帰る時間が近づき最後の最後で唯一出てきた言葉は『色々ありがとうね』だった。親はつらそうだったがきょとんとして『こちらこそありがとう』と。涙がとまらなく親の顔は見れなかった。。目をみて言いたかったが精一杯だった。生き物の世話でいったん福井にかえりこれが最後と思ったがやはりもう一度伝えたいことが言い切れなかったこともあり、またバイトの方が入ってくれることになり数日後神奈川に戻るともう話したり意思疎通は厳しい状況であった。がん末期は本当にびっくりするくらい進行が早い。前の日できていたことができなくなる。母は延命治療をしなかったので余計早かったのかも。延命治療は残されたものにとっては心の準備をする時間を作るために良いと思うが、治療の本人からすると拷問が続くようなものだと何人もの死を経験して学んだ。
もう少し元気で長生きさせてあげたかった。
弟が買い物にでて呼吸のみする母をぎゅっとするとガリガリで本当に頑張ったんだなあと思うとぼろぼろ涙がでてきた。最後に帰る時ゆっくり休んでね。39年間育ててくれてありがとう。またね。と伝えた。途中までしか言えなかったみたいだが名前を呼んでくれた。次の日の朝弟から天国いったよと連絡がきた。
これをみてる方で大切な方が生きている方は本当に言葉で伝えたいことを伝えてほしいと思います。私もあそこで色々ありがとうの一言が言えてなかったらずっとひきづることになったと思います。
あと不幸が起きてる内にさらに不幸がふってくることが意外とあります。うちの場合母の闘病中に祖父、祖母が亡くなりました。その精神的ダメージを与えないため死んだことを隠し通したりかなり大変でした。。不幸が起きるとマイナスが連鎖するのでそれを食い止める事が大切と思います。
ずっともやもやしていましたが葬儀で神奈川県に帰った時高校の手品の部活の顧問の先生にあった時『親になって、歳をとってわかることだが、親というのは子どもが自分の好きなことを楽しくやって暮らしてくれるのが一番嬉しい親孝行だよ』と言っていただきすごい救われました。

数日前やっと自分宛の遺書をひらいたらひたすら感謝の言葉が書いてあった。

今まで十分見守ってもらったのでもう天国から見守らず自分のしたかったことを天国でしてと伝えたい。闘病中母は地図をみて空想でカフェ巡りをしていましたが今はもう煩わしい体がないのでたくさんの好きなカフェを巡ってるといいなあと思ってます。人が亡くなった時は『時』のみが解決してくれることはよくわかっている。くよくよしてもよくないので前向きに人生生きていこうと思います。生きたくても生きられなかった母の分も。私の七夕の願いは『いつの日か亡くなった家族とまた楽しく語り合えますように✨』

書くことで少しはスッキリした。
色々支えてくれる方たちに感謝🥲🥲 自分も他の人が辛い時は少しでも力になれる生き方をしていきます。