10年来の友達T君。
大企業で出世し、仕事以外でも精力的に交流を深めている彼とは、
社会人になってからずいぶんと長い時間をともに過ごしてきた。
彼とは、仕事の帰りや休日などで色々な話をしてきた。
それもけっこう素敵なお店の中でおいしい料理を挟んで。
これから彼との対談をブログという形に残していきたいと思う。
場所は銀座の「八吉」という日本酒と魚の店だ。
毎日のお勧めの魚を並べて、料理してくれる。
今日は、人と器の話。
よく人の力量を示す言葉で「器が大きい」という。
この「器」に焦点を当てた。
僕は、器の大きさが人の力量に直結しているのではなく、器に注ぎ込んだ経験の量が人の力量に
結びついているのではと考えている。
つまり、生まれつきの器が小さくとも、いびつであっても、それまで苦しんで注ぎ込んだ水=経験の量が多ければ、その人の力量は上がるという考えだ。
僕もT君も生まれつきの器は大きい方ではないと考えている。
二人とも、注ぎ込んできた水の量に注目してきた方だ。特に社会人になってからは、二人そろって入社直後に社内でも有名な上司に巡り合い、ぶち当たり、叩かれ、泣かされる中で、強制的に自らの器に水が注がれた経験をしている。その経験が今の二人の性格や実績を作ってきたのだろう。
僕がその夜に一番驚いたのは、「器」には仕事と私生活の両方があるという考えをT君が明確に否定したことだ。T君いわく、「自然体でいること」が同じ器を両方の場面で使えるという。
確かにT君は仕事でも気負うことがないように思う。
家で一人でいるときの感覚で仕事ができている。なので、疲れない。プレッシャーを感じない。
彼と話をしているときに浮かんだ言葉は、「神武不殺」。
剣の道を悟った剣豪は、修行を続けた結果、剣を持たなくなり、闘うときと戦わないときの区別をなくしたという話だ。ある道を突き詰めていくと、違いがなくなる。プライベートと仕事、戦闘時と休息時、こういった区別がなくなるとき、神武不殺の境地に達して、苦が苦でなくなり、恋愛も仕事も、家でテレビを見るときも、心理状態でいられるということだ。
その境地に達するには経験が、注ぎ込む水がいるらしい。
僕も、仕事だけではなく、恋愛でも、私生活でも水を器にすすぎこむことで、その境地に達したいと思った夜だった。