ゲド戦記、読んでる。
『影との戦い』読み終わった。
作者だけじゃなく、訳者が凄い。
こんなに世界に入り込ませてくれるなんて。
自分では、めっちゃ内向的だし、根暗だし、
恨めしがりだし、すぐ自己否定に走るかと思えば服とか買ったり物欲凄くて(それが似合うと思って物欲コントロールできない時点でナルシス?)
はたまた自分の考えや意見は、完璧ですから!と思ってしまったり、もっと視野が広かったらいいのにとか、世界を知らなさすぎて怖っ!と思ったり、すざまじく混沌としてるんだけど、
実際人と会ったら、
溌剌としてますね!
暗いイメージがまったくないとか、
まったく逆のイメージを抱くらしい。
頑張って自分をアゲてるからだし、
暗いままで人に対面するのは失礼と思うし、
そう見せてるだけやねん…
気遣いすぎて疲れるから友達マジいない…
ギャハハって笑い合える友達いたらいいな、とか思うけど静かに考えこんだり、
とにかく一人の時間を好む。
映画や、コンサートも一人が気楽。
でも、良かった時めっちゃ良かったよねぇぇぇっっっ!!!!とか、酷かった時、酷評したい時、何あれ!行って損した!!とか共感してもらえると、確実に気のパワーがわくよね。
そういうふうな友達とか、
いたらいいのに。
まず、他人の気持ち理解することがめんどくさいし、他人の考えに合わせるのがそもそも難しいからやっぱり無理か!
メリットがあればデメリットもあるから、
望んでそうなってるんだろう。
ゲドは友達いなかったら、
乗り換えられなかったと思うな。
影の中に光あり、光の中に影あり。
勝ち負けではなかった…とのことだが、
やはり
光しか勝たんのだろうよ?
自分の中の影を見つめて彷徨っていても
どこかから光が射していることに
気づいてないってこともあると思う。
それは、友達や家族まわりの人とは限らず
過去の自分や未来の自分が
今の自分を照らしてくれてることだって。
未来の自分がしかっっと今の自分を
遠くから遠くから
ぎゅーーーっとぎゅーーーっと抱きしめて
光よ灯れ!!とまじないかけて
すんごくすんごく愛しいまなざしで
見てくれてたら、
今の自分だって、一人じゃない気がする。
光となって、
(それこそオレンジの温かなイメージの光)
どんな出来事にも、影を求めず探さず
中庸なニュートラルな姿勢で向き合えば
そこにあるのは影や醜さ、嫉妬恐れではなく
、たとえその影を見たとしても、
パッと光が差し込んだ瞬間をつかめることだってあるかもしれない。
以下、ゲド戦記1『影との戦い』より
「ゲドは勝ちも負けもしなかった。
自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。今後ゲドは、生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものに、もはやその生を差し出すことはないだろう。』