少し前に雪が降ったなんて信じられないくらい暖かでした。少し大袈裟ですが昨日は家の中ではTシャツで過ごしてしまいました。でも今夜からまた少し冷えるような。どうぞ体調を崩されぬようお気をつけ下さい。
さてさてフィギアースケートの安藤ミキティー残念でした!アノ演技だったら3位にいても不思議ではなかったのにと、素人審査員としては悔しがっています。あまりにも素晴らしかったキムヨナの出来映えに、審査員たちが圧倒されたのか、細かくは忘れましたが、なんと150点以上というスコアーになってしまい、このあたりから他の選手への点数もやや暴発気味に感じられたのは私だけだったでしょうか。
確かにキムヨナの点数に文句はありません。本当に素晴らしかった!だけど、その後、なぜか明らかにミキティーよりも上出来とは思えない選手たちへも130点台が連続しました。キムヨナの150点という、未知の高得点を出してしまった興奮で、その後に演技する選手たちへもどんどん上げてしまったということは無かったでしょうか?もしもミキティーの出番がキムヨナの後であったら、アソコまでノーミスの華麗な演技だったのだから、135点以上にはいっていたような気がしますが、いかにも素人意見でしょうか?(^^;)
オリンピックと言えば、昨日の朝日新聞のネット版に石原都知事のコメントが出ていましたが(詳しくは以下を参照してください)
http://www.asahi.com/national/update/0226/TKY201002250536.html
要するに、ニホン人は銅メダルくらいで喜んでいるからバカな国民だ。ということらしいです。まあ、彼らしいと言えばそれまでなんですけど、いかにも暴言では。良く読んでみると、選手たちは“国家のために”という認識に欠けているという事も言いたかったらしいです。
こうなると実に選手たちが気の毒だと思います。「スポーツに政治を持ち込むな」「スポーツは親善」など、昔からスポーツ、とくにオリンピックに関しては、その存在や役割が、極力政治的にならないように配慮されていたのではないでしょうか。もちろんオリンピックが“政治そのもの”であることも、ある意味事実ではありますが、ここで「国家のために」とまで言い切ってしまっては、選ばれる選手たちの思想信条まで束縛してしまうことになると私は思います。当然国母選手は困ってしまうハズ。
オリンピックの多くの競技では、ワールドカップの延長線上に有り、ワールドカップの上位選手が代表に選ばれるわけですが、もしもこの考え方が大勢を占めた場合には、実力があっても、選考時に、まるで「踏み絵」のように「お国のため」をナットクしなければ、出場させて貰えなくなる事態になってしまいます。
スポーツを国威掲揚の道具として捉えるこのような考え方が、堂々と語られるようになった今、オリンピックの「定義」そのものを、もう一度きちんと議論する必要が有るかも分かりませんね。考え方は人それぞれですが、ナニも開催中の今、言わなくてもいいのでは?全くKYな発言だと思います。高橋選手の銅メダル。マオちゃんお銀メダル。本当に大変な努力の賜だと思います。それでも貰った人も、応援した人も、喜ぶのはバカですか?