21日間サイレントプログラム ~私の場合~

として書いていこうと思いますー。



プログラム終わってからメモ程度に書いていますが文のつながりなどは後日少々手を加えています。


ですが日記を書き始めた日時はそのままにアップいたしますね。


あくまでこれは私のケース。



みーんなそれぞれ顔が違うように

それぞれのタイミングや役割があること

ご承知おきくださいね🎵😊


DAY1, DAY2 




DAY3


今夜は夕飯も済ませ

デザートも食べ!



   ブルーベリーのシフォンケーキ



リアルタイムで最初から最後まで聴けた



シフォンケーキは母がよく作っていた


おばもたまに作ったものをくれるのだけど


なんとなく母の作るもの、という印象で

手を出してこなかった


メレンゲを泡立てるのに力がいる

膨らまなかった

というのがずっと印象に残っていたのと

母が難しそうに(笑)作るもの、という認識だった




わたしは疲れるから電動ミキサーでやった



電動ミキサーを使ったから

そんなに力はいらなかった!笑


割りとうまくできたと思う


たぶん、初めてくらいに作ったけど

バターを使わないし、また作りたいと思った


とても楽しい気持ちだ





21日間サイレントプログラム 3日目

今日はとにかくなけた


少しずつの開放が起こってるのかなと思う



ハートから自分の名前を呼ぶとき、

さっちゃんが

近所のおばちゃんから呼びかけられてるように

と言った


そのとき呼ばれていたあだ名で呼んでみて、と



「まりちゃん」

「まりちゃ~んっ」


たくさんのおばちゃんが私に

手を振りしながら笑顔で

優しく呼びかけてくれている様子がイメージされた



わたしは実家が神社の家系で、

毎年春と秋にはおまつりがあるのですが


その神社のおまつりに

おばさんたちがたくさんお手伝いに

来てくれていたときがあった


私が小学生くらいの頃。とても多かったと思う


多分そのときの記憶なのか

ただの想像かはわからないけれど


割烹着を着たおばさんたちから

その中には祖母もいた

(今は腰が悪く来ていない)


たくさんたくさんまりちゃ~んって

呼んでくれた

と、思う笑




そんなイメージがわいたあと、さっちゃんから

「年上の女の人に甘える女性を見たときに引っかかっていた」という話があった


引っ張っていく立場だから

甘えちゃいけない、と思っていたと



ふと、「これは断ち切るときだ」と感じ

「女の人に甘えちゃだめ」をやめたそうだ



その頃から

「さっちゃん」と呼ばれ始めた、と







現に私もさっちゃんと呼んでいる!

昨年はさっちゃんファンクラブなるものにも

入った笑


今も

#わたしとさっちゃんの21日間

というかわいいハッシュタグとともに投稿がされはじめた笑

センスいい~❤️


さっちゃんファンクラブに入ったのは

とってもピュアなエネルギーで

その場にいたかったからだ


さっちゃんって呼ぶと嬉しくなるんだよね。


もしかしたら、私をまりちゃんと呼んでくれた

おばさんたちもそうだったのかも、と

なんか分かった。


名前を呼ぶって愛情表現なのか!!!

分かっていたはずのこと😂

そうだったそうだった。


書いている今も泣けてきた。



私もたくさん甥っ子の名前を呼ぶ。

その名前を呼ぶときに「かわいいよ」とか「いい子だね」とか「ぷっくりほっぺか最高にかわいいよ!」とか「言動すべてがかわいい!」がそういえば入ってるわ~~😂

甥っ子の名前にそれをこめてよんでいる笑








私から呼ぶさっちゃんは

近所のお姉さんみたいな感覚で




実は?最近特にHappyちゃんが

さっちゃんファンクラブの会長みーちゃんや

幹部のみなさんはじめ、にすごく可愛がられているなぁと感じていたことにつながるのだけど



私も「甘えちゃいけない」がなぜかあって

でも、私より年上のさっちゃんを見て

いくつになっても可愛がられていいのかぁ!?

とざわついていた笑笑


それは多分私も

可愛がられて生きていくということなのだろうと思った。笑








 エゴキンマンの声



例えばあなたが52歳でダンスを始めたかったとする


そのとき

どんな声や気持ちが出てくる?


もう年だから


今さら?


どう言われるかな?



この否定的なエゴキンマンの声と

肯定的なソースの声の音源を

さっちゃんが流してくれた場面で


めっちゃ泣けてきた








ソース=全てを味方してくれる内なるやさしい声 は


最初はエゴキンマン=批判的、否定的、反対する声


が大きすぎると




聞こえない。





でも瞑想やこのプログラムでは

その声を小さくできるんだよって










 普段だしていないダークな部分を出す



死にたい


死にたい


↑この死にたいは「もうこの身体で、地上で頑張るの疲れた。」って感じ



どこかにかえりたい気持ちがある人は

天上界から落ちてきた人だそう


なので、その気持ちが出てきたんだと思う



頭では分かっていても

まだまだ辛い部分があったんだなぁ


言い聞かせていたところがある!

と再確認した



天上界からおちてきたひと~🙋

自分のできること、得意なこと、誰かを喜ばせること、世の中が良くなること♪

と意識してこの世界を天上界にしていきましょう☺️✨



ひっくるめていうと徳を積むことだ♪

難しい場合は一日一善✨



この苦しい、を出せてよかったなと思う。



感じることで癒やされていくことが

よくわかった



他には


こっちくんな


さみしい


ひとりにしないで



やめろよ




もっといろいろ出てきたが、

なんだったか


都合のいい頭🤣


でもこのように出して忘れるなら

出した方が本当にいい!笑



とにかくスッキリしたーーー✨


びっくりしたけど、

よかった







 最後、の天井のライトを見つめる時間


今日は今ここにいる私の意識が強かったが


そのうち


昨日まで農夫だったわたしは

参照 



今日はその農夫の上を飛ぶフワフワとした

青い鳥になっていたところが浮かんだ









少し寒いけど

肺に入ってくる空気が気持ち良く

胸を膨らます




そんなに長い命ではなさそうだが

生きている


生命力に溢れた私を感じた

🐦️


ぐる~~っとからだを回して

太陽がキラリと光ったところで

またこちらに戻ってきた




一生懸命羽ばたき動かすからだが

気持ちよかった


いつでも全力で生きる「命」

そのもの








そうだ、名前を呼ぶワークの前?


ただ息を吸って吐いている今の私を

俯瞰的に見られてよかった◎


赤ちゃんのように、その息をしているだけで

愛しく尊い存在だと感じられた





肺活量はそんなになくて

筋力も少ない(笑)(笑)


でもその私そのもの が

繊細なこの命が愛しく


生きててくれてありがとう

という気持ちがわいてきたのだ



いつでもこの視点でわたしを愛でていたい、

と思った。



それは今日電車待ちの駅で眺めた

夕日の光から感じたあたたかさと

光線のようだった



ありがとう。




DAY3

おわり