ご来訪ありがとうございます。
昨日は私の誕生日でした。
子供の誕生日は嬉しいけど、自分の誕生日は特に嬉しくもない年齢となりました
私は朝に生まれたのですが、
「44年前の今頃、生きるか死ぬかの瀬戸際に立ってたなぁ〜」
と、ぼんやり時計を見ていました。
5〜6年前に、ソルフェジオ音叉の講座を受けた帰り道、突然、自分が生まれた時の事を思い出し、1人おいおい泣きながら家に帰りました。
Year Reading2021
内容:
①12ヶ月分のオガムとルーンの
メッセージ
②2021年のkeyword
③ハイヤーセルフからの
ガイダンス
④お守り曼荼羅
(点描曼荼羅・名刺サイズ)
keywordとなるオガム文字と
ルーン文字を曼荼羅の中に
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ここから先は、母本人と付き添っていた祖母の2人から聞いた話と私が思い出した事を合わせたストーリーです。
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母は細くて小柄で初産の上に、私は臍の緒が短かかったらしいです(後から分かった)
今よりも医療が進んでいなかった44年前の北東北の田舎の病院で、母と私は死にかけていました。
当時は帝王切開での出産は最後の手段であり、産科の医師は最後の最後まで母に普通分娩させようとしていたそうです。
予定日に破水して病院に行ったものの、なかなか生まれてこない私…
医者は母のお腹の上に馬乗りになってお腹の中の私を押し出そうとしたり、あの手この手で分娩させようと試みたそうです。
母の限界も私の限界も見えてきた頃…
私は母のお腹の中で『上の方達』と冷静に相談していました。
「このままじゃ、死んじゃうね。どうしよう…」
『上の方達』は、いついかなる時も自由意志を尊重します。
「あなたはどうしたいの?!」
逆に質問された私は即答しました。
「私、生きたい。無事生まれて生きる!!」
その頃、母は意識は朦朧としていたものの、全く不安も心配も恐怖もなかったそうです。
そして、医者に
「腹を切ってくれ!!」と叫んだらしい…
そして、私は予定日の翌日の朝、帝王切開で生まれたわけですが、祖母は母子共に無事が確認できるまで、生きた心地がしなかったそうです。
母と私の直前に帝王切開の為にオペ室に行った妊婦さんが亡くなったのをその時既に聞いていたので…
私はオペ室の前の廊下で狂ったように祖母がお経を上げる中、生まれたそうです。
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そんなこんなで生まれてきた私は現在に至ります。
新しい命が産まれるということは、これだけ医療が進歩した今現在でもリスクは完全にはなくなっていません。
今も昔もそれだけの一大事なのです。
で、自分で生きることを選択した事を改めてぼんやり思い出していた私の頭に響いているのは『光の戦士』
そのつもりで「生きる!!」って決めたんだろうなぁ…
お読み頂きありがとうございました。
Good day!!
Makoto