東日本大震災から10年経って思うこと | 東京都港区でアトリエK六本木(旧白金高輪)を主宰しております石井香生里のブログです。

東京都港区でアトリエK六本木(旧白金高輪)を主宰しております石井香生里のブログです。

ポーセリンペインティング( 磁器絵付け)を中心に、国内外( フランス・パリ、東京・銀座)での展示会出展を中心としたアーティスト活動を行っております。また、少人数制のポーセリンペインティング教室、アトリエKを六本木で開催しております。(教室歴20年以上)


長らくこちらへの投稿が滞っており、申し訳ございません。


今日で東日本大震災から10年となりますね。

10年前は、こちらアメブロに頻繁に投稿していた事を思い出し、またこの震災を機に、私の、特にクリエイターとしての活動が劇的に変化したことに気付き、未だコロナのパンデミックの最中にある今、収束後の世界を考える上でも、この10年を振り替えってみることにしました。

地震前は、増えたり減ったりする生徒様の数に一喜一憂したり、小さなアートグループでマウント取ってくる方に翻弄されたり、視野の狭い環境に身を置くことを余儀なくされた方の鬱屈した思いに付き合わされたり(愚痴を聞いたり)…と、ある意味少し窮屈な状況に、身を置いていたこともありました。

それは、私自身が、自身を俯瞰出来ず、狭小な視野の中に居たからなのかもしれません。

もちろんマイナス面ばかりではなく、 大企業や大使館が後援するような大きなコンクールで、何度も賞を頂いたり、大会場のアートセミナーで講師を務めさせて頂いたり、アートブックを出したり、銀座や渋谷などのデパートでの展示販売をしたり、銀座や当時地元だった白金で、個展やお教室展を開いたりと、それなりの成功体験もありました。

特に、大きなアートコンペで頂いた数々の賞は、私に、自信と、制作意欲をもたらしてくれました。

が、震災後、一旦茫然自失となった後、震災の翌年から出場した、海外イベントへの参加を機に、私自身、それまでのクリエイターとしての価値観の変容を余儀なくされて行きました。

それは自分が目標にして来た世界でもなければ、想定していた成功者のイメージや世界感とも違ったものでした。

未だコロナのパンデミックの最中にあり、パンドラの箱を開けてしまったように思われる現在、また、東日本大震災から10年経った現在に、パンデミックの災厄が収束した後の世界を、東日本大震災後のこの10年を振り替えることで、考えてみたいと思います。

10年前、地震が起きた時、私は丁度、陶画舎大賞展( 大企業が後援し、アート界の著名人が審査員に配された陶磁器絵付けの祭典、大展覧会)に出展するべく、作品を宅配業者の方に取りに来て頂いておりました。

作品を出している玄関先で、まず一回目の強い揺れが来ましたが、部屋に戻り2回の揺れで、飾り食器棚に入れてあった陶磁器を中心に、200枚近い(以上?)の陶磁器が割れ、茫然自失となりました。

飾り食器戸棚などにあったほとんどの陶磁器が、お教室用のレッスン見本作品などでした。

しかしこの時何故か、もったいないという感情は起こらず、それよりこの割れ物に囲まれている暮らしに恐怖を感じ、絵付けをやめてしまおうかとさえ思いました。

しかし様々な人々からの温かい精神的援助や、また様々な状況から、やめることを思いとどまり、むしろより一層作品制作に励むようになり、その翌年の2012年から一気に、海外でのサロン(展示会) 出展が始まります。

まず2012年は、計4回、パリでのサロン出展を果たしました。

春、パリの16区( 高級住宅地と言われる場所)にあるルイ・ヴィトンの美術館を有する巨大公園での日本文化イベントに出展したのをかわきりに、夏は、ヨーロッパ最大級の日本文化イベント、Japan Expoに参加し、晩秋から初冬にかけて、現在に至るまでお世話になっているパリ1区にあるギャラリーDiscover Japan での企画展に参加、続いて、やはりオペラ地区のパッサージュで行われ、2016年まで毎年参加していた人気イベントIdee Japon に出展しました。…こちらも入場制限がかかり、入場に1時間以上待ち、パッサージュから出て大通りまで列が出来る様子がメディアにも取り上げられるほどの人気イベントでした。

2013〜2016年までは毎年、主にクリスマス時期に、このIdee Japonに出展しました。

そして2017年から2019年までは、個展、または私が主宰する企画展『百花繚乱展』を、初夏のパリ、こちらのDiscover Japan Gallery で行いました。(1回目は個展で、2回目から企画展となりました)

また2018年は、ルーブル美術館の一角にある巨大展示会場、ルーブル・カルーゼルで行われた国際見本市に参加し、ジャパンエキスポ以来の大規模イベントへの参加となりました。

そして、2019年は、初夏にDiscover Japan で『百花繚乱展』を、冬のクリスマス時期には、パリ、マレ地区の有名ギャラリーや邸宅美術館が密集している地域にある瀟洒なギャラリーSway Gallery で、個展『絢爛』を開催しました。

つまり、2012〜2019年まで、パリで、個展を含め計16回のサロン出展を行いました。( 2020そして多分2021も海外展の出展は無理と思われますが…)

これらのサロン出展を経て、私の作品をお迎えくださった多くの方々との交流は、私にとって掛け替えのない財産であり、今後の制作活動の原動力となるものになりました。

私をここまで、海外のサロン出展に向かわせたものの一つは、海外の展示会での現地の方々との交流だったと思います。

海外展での交流の大きな特徴は、好きなもの、興味のあるものには多くを語るが、趣味でないもの、興味のないものには見向きもしない…という点でしょうか。

どちらが良いという訳ではありませんが、日本の場合、自分の趣味ではない作品に対しても、”ここをもっとこうするべき…”など、批評をし、助言、アドバイスを与えるというポジションで、作家と交流を持つ方も、少なからずいると思いますし、また逆に、付き合いや、義理や忖度で、展示会にいらっしゃる方も多くいると思います。

好きではないものに助言する方もいれば、好きなものに何処が好きかを語らせるのは野暮だ、という考えの方もいらっしゃいます。…これは海外でも同じでじっと見て何も語らず、ニッコリ笑って、”これをください”と仰る方も、多くいらっしゃいます。

もしかしたら海外でも、販売を伴わない展示のみのコンペのような展示会では、日本でよくある状況のようなこと…自分が良いと思わない作品でも、アドバイスを与えることで、作家と交流を持つ…ことも起こり得るのかもしれませんが( そのような展示会に参加したことがないのでわかりませんが)、どちらにしても、海外展では、自分の趣味に合わない作品について、長々時間をさくほど暇じゃないと言った雰囲気があります。

ちょっと横道にそれましたが、つまり、海外でのアートや工芸品の愛好家は、好きなもの、興味のあるものにストレートということでしょうか。

また更に、作品の背景にあるストーリーや、作り手の想い、また素材についても拘りがあります。

なので、作り手と直接話が出来るサロンは、忖度なしに人気がありますし、こちらも素直に作品の評価を受けることが出来ます。(そもそも知り合いが多くいる訳ではないので、義理や忖度のしようもないのですが…)

東日本大震災後に、海外展示に頻繁に出るようになってから、作り手としてのアートへの取り組みや考え方が、根本的に変わって来たように思うのです。


さて、未だパンデミックの最中にあり、10年前の震災においても、原発問題はじめ、問題は山積している現在ですが、現在のこの混乱の問題解決をし、収束に向けて進んだ後には、変容しながらも残っていくものがあるはずです。

例えば、都内の一等地に本社ビルがあることが、会社員としてのステータスでもあったのに、リモートワークが急速に進むと、ステータスになるものも、また勤務地やまた自宅の場所などの概念も、変わって来るかもしれません。

色々なものが崩れ去って何もなくなると、そこから作り上げて行くしかなくなる。 それがパンドラの箱に残った希望の、一つの解釈なのかもしれません。

パンドラの箱が開かれた後の世界には、価値観の変容含め、どんな変革が起こり、どんな世界が待っているのか、辛い状況を乗り越えた後に、軽やかで解放され、光射す未来があることを信じ、待ちたいと思います。

写真は2019年パリで個展を開催した時の様子の一部です。