私が九死に一生を得た時 2/2 | ビーズ教室 アトリエ海 のブログ

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2回目です。

私が抱き学生の頃、アルバイト先で怪我をしました。かなり大きなけがで、救急車で運ばれました。今も左手に大きく傷跡が残っています。握力も右手の2/3ぐらいしかありません。

まあ、私の不注意というか、監督者の注意を護らなかった私が悪いんですが。

で、救急車に乗って、救急病院に運ばれました。
で、そこで、動脈が切れていること、貧血状態であることを知らされました。

医者は輸血の用意を指示すると同時に、リンゲル液(代用血液)で、ごまかしながら手術を始めました。

で、私の血液が血液センターから到着と同時に、救急車がもう一台。近所の高速道路での交通事故での怪我。私より重症。
医者は両方を見比べ、血液はその交通事故の患者さんへ
私は、再度血液手配しながら、リンゲル代用。

手術が終わって、再度血液が届きましたが、私は貧血が無くなり、輸血の必要はないと判断されました。
で、その血液も交通事故の患者さんへ輸血されたんです。

もちろんですが、私とその交通事故の方とは血液型が同じでした。

私は、無事退院して、しばらくリハビリでその病院に通っていました。
ただ、しばらくしてから、なんとなくよそよそしい空気がする、というか私を見る目が何となく違う。
で、その病院の某職員の方に聞きました。

私に入るべき血液を輸血された交通事故の患者さん、輸血された血液が原因で肝臓を悪くして亡くなられたというのです。けがは治ったのに。
最後は大学病院に転院したけど、どうにもならなかった。

それから、努めて献血するようになりました。
そこで知った事実。

実は、当時の京都府は共産党の知事さんでした。もともと、京都は共産党が強いんです。
その知事さんが、「献血という人の善意は一滴も無にしてはならない。だから、最新式の検査機器導入は見送る」といって、充分な検査を行われないまま輸血されていたんです。
当時、すでに京都の輸血は世界一危険だと一部で言われていたんです。

イデオロギーは人の命より優先するのか。
科学はイデオロギーに勝てないのか。
間違った知識で、うかつに動く人が有れば正さなければ
でも、今は、わざと危険だ危険だと騒いで人々を誤った方向に、導こうとする人が後を絶ちません。
神戸大震災の時も、時の首相は、自衛隊は憲法違反だから出動さえるわけにいかない。と言って出動命令を出さなかった。
自衛隊が動き出した時、何で出動するのかと、抗議した大物元党首がいた。