一つ考えさせられたことが、
人の持つ”怒り”の感情についてです。
仏教の考え方に、貪瞋痴(とんじんち)というのがあります。
これは人間のもっている根元的な悪いクセのことで、
”むさぼり求める貪欲”、”憎み嫌悪する怒り”、”迷い惑う愚痴”の3つで、
人を毒するから”三毒”と呼ばれるそうです。
幸せになりたかったら、とにかくこれらを避けるようにがんばりなさいと言われます。
また、心理学の考え方では、怒りは「自己防御反応」だと言われることもあります。
注意深く見てみれば、自分ないし相手が怒っていることの原因は、
自らを支えてくれる価値観や関係性だったりまで含め
広く自分自身が傷つけられるような言動や事柄に対してのことだったりが多いです。
起きた事実の重大さや衝撃の大きさを目の当たりにし、
自分以外の何かを悪者にし、それに対する怒りや憎しみの感情を抱くことでしか耐えられないという状況は、
仕事で意図しないミスなどをして怒られた時など、身の回りの出来事でもあることです。
怒りという攻撃的な感情が、実はそれぞれの繊細で傷つきやすい、柔らかい部分から来ている場合があるということ、
そして、その怒りの感情を乗り越えたところにこそ物事の”答え”があることが多いというのは、
感情をコントロールできるかどうかということは置いておいても、
一つの真理として、頭の片隅においておくべきことなのかなということを考えました。