マイノリティーとは、弱者やマイナー、多数決によって廃棄された一部の意見。偏見や差別の対象となり受け入れられない者と認識されている。反対にマジョリティ、大多数や立場が大きい者。無難な選択などと認識されている。

“しかし、少数派は、けしてマイノリティーではない”
ご存知のとおり、世の中は、多数決で成り立っている。人間は多数派にいる事により安心できる。人と人とのコミュニケーションも多数派の中にいる事の様に認識されている。
特に、社会に出れば、雇用される組織の中で上手くやっていくためには、多数派の中にいなければならない。
少数派でいると、協調性がない。社会に順応できない。わがまま、自分勝手、大人になりきれない。などと言われる。
そもそも、協調性とは、自分の意見を主張せず。同調したくない輪の中に居る事なのでしょうか? なぜ? 少数派は、希少とか、個性にはならないのか?
実際に、私も、以前は少数派になることを恐れていた。多数派の中に入ることが、よい選択だと思い。自分の意見を持たず、大きい輪の中にいないと、自分の居場所がなくなり孤立してしまう事が何よりも怖かった。
実際に少数派でいることは、リスクが大きく。風当たりも強い。間違って居る者たちと解釈され。カタミの狭い思いをする。
けして反発や人を避けているのではなく。ただ自分に正直なだけ。社会や組織で生きていくうえで、協調性を持つ事は大事なことです。
ただ、怖いのは、大多数の意見や考えが、誤った方向へ向かってしまうことです。誤った選択でも大多数を締めていれば、正しいとなってしまう。
例えば、りーマンショックも、買い手側が、誤った選択、警戒すべき事であったのに、大多数が債権の価値を過大評価してしまった事で生まれた過ちと言えます。
当時、経済評論家などが、リーマンショックの原因に対し、理屈や方程式を語っていましたが、要するに、楽して儲けよう。得をしようとした者たちがこぞって債権を購入し、元本割れと気づいた時には、もうすでに遅く。長く続いた住宅バブルも崩壊し、一気に滞納額が増加、それに伴い差し押さえ件数も急増し、住宅価格はさらに下落。
そして、貸し手側は、なんの裏付けもない不誠実な証券を、通常は、ローンを組めない様な信用力の低い人達に対して、ほとんど無審査で高利のローンを組ませた。
しかも、貸しては当初から、返済不能になる事を予測し、担保にとった住宅を転売することで債権を回収するつもりだった。
個々が自分自身で判断し、自分の目で評価していれば少なくとも、購入への後悔はなかった様に思います。
誰でも、初めては、勇気がいることです。特に、人前に出てさらされる事や、恥をかくこと・・・。
今でこそ、当たり前の様に行われている路上ライブやパホーマンスも、始めて行動を起こした人は、おそらく、馬鹿にされ。変わり者と思われ。無駄な事と言われたはず。
しかし、今となっては、メジャーデビューのきっかけとして、認知され。登竜門となっています。勇気を持ち、自分自身を信じた少数派が、築き上げてくれた事です。
少数とか多数とかではなく。心のままに意見や行動を起こし、人生を楽しむ事が、悔いのない生涯を約束してくれる様な気がします。
以上