【素敵な言葉】引いて生きても一生。出て生きても一生。 | 武口愛気良の【夢】は諦めない!

武口愛気良の【夢】は諦めない!

ジャニーズ出身/元お笑いタレントKIDSリーダー/ミュージカルダンサー/ショーダンサー/MC/俳優/エンターテイメント全般に活動。そして・・次なる夢は!

銀座に勤めて早4年。💦

 

と、言っても数カ月はコロナで通っていない時期があるのだが💦💦

 

大人になってからの「4年」は早い。

 

増してや、50を過ぎたら加速度がついたかの如く更に早くなる。

 

 

中学生だったら、高校生になるような期間、銀座に通っているが、仕事場と家の往復だけなので、何処に何があるのか殆ど知らない。

 

知る事も出来ない💦

 

今年に入ってからは、夕方5時に家を出て、車で銀座に向かい、朝の5時に車で帰宅する生活である。

 

夕方の風景は、9月もこの時期になるとつるべ落としの如く、陽が沈むのが速くなる。

 

6時過ぎに銀座に着く頃には「夜」になって来た。

 

それは嫌いじゃない。

 

寧ろ「夜の街」こそ、好きな場所であり、好きな時間帯である。

 

新宿歌舞伎町、札幌すすきの、六本木ロアビル前・・

 

散々、「夜の街」で働いてきたのだから・・。

 

 

思い起こせば・・

 

「芸事だけで食べていく!」

 

と息巻いていた青臭い若き頃の自分。

 

17歳で「ジャニーズ事務所」に入り・・「アイドルになってデビューする!」と意気込んでいたが、売れる事なく退所。

 

今思えば、入って3ヵ月後に少年隊のバックでテレビ出演して踊り、1年後にはTBSのテレビドラマにレギュラー出演、その後もジャニーズジュニアとしては異例の扱いで、ミュージカル等にも出演させて頂いていた。

 

一緒に出ていた柳沢超君が「忍者」としてデビューしたように、一歩間違えれば、「光GENJI]とか「忍者」とか「男闘呼組」とかに入れたかも知れないような時期だった。

まぁ、人気もないし、年齢がネックで辞める事になったが💦

 

19歳で辞めた後、20歳からは「ダンサー」になって「一生踊って食っていく!」と中野サンプラザ「原宿物語」、日生劇場でのミュージカル西城秀樹主演「デュエット」大地真央主演「プリンセスモリー」野田秀樹演出「十二夜」に連続出演、大地真央さんのファーストリサイタルバックダンサー、荻野目洋子さんの20歳バースデー日本武道館コンサートバックダンサー

 

 

JR東海シンデレラエクスプレスのCMで深津絵里さんの相手役のムーンウォークする少年・・など・・

そこそこ、ダンサー活動をしていたが、一人暮らしを始めて、家賃を払って食って行く為に「ショーパブ」で踊ったあたりから、迷いが生じた。

 

それでも「芸事」で喰って行くと言う「気持ち」は持っていたので「石井光三社長」を紹介されて「これからは、歌って、踊って、お笑いができなあかん!君たちいくら踊っても全然テレビに映らんやろ!お笑いやってたら、ずっーと顔がアップで映るんやで!故郷のお父さんお母さん、泣いて喜ぶがな!」

 

みたいな事を言って頂き・・お笑いの道へ・・

 

3人組のお笑いコントグループを結成して修行の日々。

 

3年が過ぎた頃ようやく、「コント」が多少できるようになり「暴走族」のネタで日本テレビ「爆笑王誕生!」と言う番組に出演、4代目5週勝ち抜きチャンピオンにまでなったのだが・・

 

その後「コント赤信号」の「小宮孝康さんがMCハマーの真似」をした「MCコミヤ」のバックダンサーでテレビや営業で日本各地に遠征したが、その後グループは解散。

 

私も石井光三オフィスを退所する事になった頃には5年もの月日が流れていた。

 

30歳を目前に控え、友人の代役で「つかこうへい」作「熱海殺人事件~妹よ~」桐生公演をきっかけに「銀座セゾン劇場・飛龍伝94’」に出演。

 

ダンサーとしての出演だったが、そこは「つかこうへい」さんの演出。

 

役者さんに混じってそこそこ芝居的な場面でも・・出演させて頂いたが、役者やダンサーで舞台で、食って行くことは出来ず、昔お世話になった方からの誘いで「ショーパブの世界」へ舞い戻り・・

 

新宿歌舞伎町・・北海道、札幌・・六本木・・

 

と、「ダンサー」として渡り歩いた。

 

足掛け15年は結婚して子供が出来て、食わせて行く為に、踊り続けた。

 

あの忌まわしい大震災が来るまでは・・

 

あれから10年。

 

歯車狂い・・いつしか・・

 

ただ喰って行く為に働くだけの生き物になっていた。

 

その間、まったく何もしなかったわけではない。

 

色々ともがいて、苦しみ、色々な事に挑戦したが・・

 

挫折。

挫折。

挫折。

 

の連続だった。

 

離婚し、子供と別居、父親が目の前で他界・・。

 

事故で仕事を退職。

 

色んな経験をしてきた。

 

苦労もしてきた・・だろう。

 

「タケちゃんは苦労してないからな」

 

と言われる事もある。

 

「苦労してないのだろうか?」

 

と思う事もある。

 

いやいや・・苦労何てする必要ないのでは?

 

なんで好き好んで苦労するのか?

 

「見えない」部分ではそれなりにしてきた自負はある。

 

そもそもが苦労など人様に見せる物ではない。

 

増してや「芸事」私的には「エンターテイメント」で生きていこうとしていた人間からすれば「苦労は陰でして、お客様に見せてはいけない物」なのである。

 

さて、56歳もあと4か月少々。

 

年が明ければ57歳である。

 

最早これまでか・・と思う事もシバシバ💦。

 

それでも常に、心の中に「このままではいかん!」

 

と言う「思い」と「気持ち」と「言葉」が渦巻いている。

 

「やり残したことは無いか?」

 

「やりたい事は無いのか?」

 

「行きたい所は無いのか?」

 

と自問してみる。

 

「まだ・・歌作り切ってないよ」

 

「まだ・・手足動くうちは踊らなきゃ」

 

「まだ・・書きたい事、伝えたい事、山ほどあるよ」

 

と、心の声がする。

 

私の中では「60歳」になったらもう終わりかな・・

 

と思っていた事が沢山ある。

 

例えば「歌」も「ダンス」も「この姿」も・・

 

老いぼれた姿や形や声は・・人様に見せたり聞かせたりしてはいけない物と思っている。(あくまでも私のです)

 

そう思っていたのだが・・

 

やって来た事に悔いはない。

 

やってしまった事に悔いはない。

 

でも、まだやりたい事があるうちは・・やらなくちゃ。

 

中学生の修学旅行で京都の大仙院と言うお寺で「尾関宗園」と言うお坊さんの説法を聴き、買った本の中にあった言葉。

 

「引いて生きても一生、出て生きても一生」

 

引っ込んで・・引きこもって、時間が通り過ぎて行くのを待っていても一生は終わってしまう。

 

出て生きて、人様に何かを言われて生きても一生は終わってしまう。

 

要は何を言われても気にしない自分になる事だ。

 

こんな話がある。

 

ある老夫婦がロバに乗って旅をしていた。

すると、通りすがりの人から「ロバに2人も乗ってロバが可愛そう」と言われた。

その言葉を聞いた旦那さんが、自分は降りて奥様をロバに乗せて旅をつづけた。

 

すると、通りすがりの人から「男を歩かせて自分だけロバに乗るなんて何て高慢な女だ!」と言われた。

 

その言葉を聞いた奥さんが自分が降りて旦那さんをロバに乗せて旅をつづけた。

 

すると、通りすがりの人から「女性を歩かせて、自分だけロバに乗るなんて何て野蛮な男だ!」と言われた。

 

その言葉を聞いた夫婦はロバには乗らず2人でロバを引いて旅を続けた。

 

すると、通りすがりの人から「いい年して、ロバの扱い方も知らないのかよ!ロバは引く物じゃなくて乗るものだぜ!」と言われた。

 

老夫婦は途方に暮れて旅を辞めた。

 

 

大切なのは、自分の心の声に耳を傾け、「やりたい事をやれる自分」になる事だ。

 

 

さて・・残りの人生・・。

 

「出て生きよう」かな。