桜が綺麗な季節になった。

桜は咲いている時よりも散り際が美しい。という人がいる。

秒速5センチメートルだって

ねえ、秒速5センチなんだって。桜の花の落ちるスピード。秒速5センチメートル」

って言ってるしね。

満開だから綺麗だね!だったら話の内容はかなり変わっていたように思う😇

桜の優美さよりも儚さを表した作品はいくつもあるけど、ここでは割愛。

 

 さて。ある意味総まとめです。

そうそう、ブログのタイトルの〇〇はこの言葉だったのでした。

自分にとっての「日常」とは平穏な日々であり、何かに悩まされることなく、残業なんかクソ喰らえと愚痴をこぼすような当たり前のこと。

 

(以下のブログをみればだいたいのことはわかると思いますので載せておきますね)

 

 

 

 

 これらを踏まえた上で

このような謝罪文と示談書を交わしました。

ちなみに首長からの直接の謝罪、当事者からの謝罪は今でもありません

 

(前のブログではしっかり免職と書いてありますが、あまりない事例のため、ここでは隠してあります)

 

一連の流れ

 辞めさせられる、、で思いあたる節といえば、精神的に参って自宅から救急車で運ばれたとかそんな感じです。

成績書についても前のブログに載せてますが、「成績不良の事実がない」とか「気にする必要がない」「つけた人の個人的なキャラクターによるもの」との見解が相手からは出ています。

なにせ、成績をつけた人は出てこないし辞めています

しかも、記憶にないを連発してるようなので、真相はわかりません。

 

苦しかった理由はもう一つあって。

新型コロナウイルスが蔓延し始めた時に就職してしまい、「都会の人間はくるな」という非常に厳しい時でした。

ナンバー狩りも遭いましたし、じろじろ見られたりしました。感染してはないけれど、自宅待機もありました。入店拒否もありました。

最悪のスタートを切ってしまい、頑張らないと!とたくさんもがいていたら、ある日突然ぷつんと糸がきれました。動くことすらできなくなりました。

 そこから転がるように落ちていって、最後には「明日から来なくていいよ!」「あなたのことを思って」と突然言われてしまったのです。

ちなみに

「明日から来なくていい」って結局ハラスメントではなかったようななんですよね。認めてくれませんか?と請願はしましたが。。無回答でした。

 

 突然突きつけられたはいいものの、謝罪文にある通り理解不足、チェック不足のまま発令されました。いわゆる行政処分です。

これ、おかしいよ。と申し立てをしてからの相手の初動が最悪でした。(不利益処分の審査請求といい、裁判ではありません)

結局、相手側の弁護士さんがしっかりと怒って説得したので審査請求についてはかなり早く終わりました。取り消しもその後にありました。

 

長すぎる

ただね。長くね? 終わらせるのに。なんで?

そう、長かったのです。自分自身が強く思うくらいなので周りの方も思われた方もいたかもしれません。

審査請求が終わった後はとにかく精神力との戦いでした。ひたすら待つしかありませんでした。

長い。長すぎる。

長くなったことがじわりじわりと…けっこう効いていました。

ちなみに叔父は怒っていたそうな。

人の人生を軽く扱い過ぎ」って。

当然です。

叔父はその他にもめちゃくちゃ怒ってたみたいですが。

きちんと伝えず、今更ながら伝えられたこと(後になって知らされた)が多くあったみたいだし…


 長くなった理由の一つに災害認定請求がありました。

違法な処分が公務(業務)災害と認められないと、因果関係がないからそこまでではありません。と言われてしまうのがオチです。

(賠償はしなければならないと早くから言ってたけどね)

 結局、処分そのもの自体が違法であり、その処分は業務災害である。になりました。

しかしながら、一言もハラスメントがあった。なんて言及されていません

これが肝心なところでしたが、このハラスメントに対するものがなかったため、責任を取ってもらうのはまぁ難しく、時間がかかるためやめました。

ハラスメントはその前後を見て、いろいろ考慮して決まります。認めていない、記憶にないとか分からないのであれば、それはあったかもしれないし、なかったかもしれない。

そういうことです。

つまり

一方の側面を切り取ってハラスメントだと決まるものではありません

だからあくまでお願いなのです。

「明日から来なくていいって言われたけど、違法な処分であるし、その後重大な結果になりました。その言葉はハラスメントと認定してもらえないでしょうか?」ってね。

先述したように請願はしたけど、無回答です。

 

結局、自分は退職に至りました

この間どうなってるんだか、宙ぶらりんが続いていました。それも辛かった。

今度はこっちから退職を突きつけました。

してやったり。みたいな感情もあったけど、なんか無だったかなぁ。

それよりもちゃんと受理されるのかな?とか不安感が大きかったです。



 

退職理由を何ページにも及んで書いたその中にはたくさんの問題点、自分自身の責任もありました。

もちろん、自分にだって責任があるってなんかこれは自責かもしれないけどあるんですよね。

責任を取らない人と一緒にされたくない。っていうのもあると思います。

 

 

 

早く終わらせたかった。

早く当たり前の日常に戻りたかった。

 今回支払われた賠償金は違法な処分云々が本質ですが「問題の解決が長引いた精神的苦痛」も入ってたらなと思いますね。。

思いますって言ってるのは、あくまで個人的な願いだから。

弁護士は問題の解決が長引いたことよりも、違法な処分&公務災害による精神的苦痛のもので請求をしているからと。そんな感じです。

確かに「問題の解決が長引いた」と言及されたのは和解協議においてです。

それは和解するために、相手が寄り添ってくれたものになります。

悪くないとか、被害者だとか。処分以前の出来事についても適切ではない。みたいに触れたのも和解協議です。(処分取消時の面談でちょっと触れたけどね)

 困った事のもう一つ、というか長引いた理由であろうこととして…

まぁ、相手が期限を守らない。(内部事情もあるでしょうが)

何をしてるか分からない。伝えない。

どうなっているのか、何が障害で遅れているのか分からない。

本当に…何度文書を送ったか分かりません。

 

そんなこんなで4年が過ぎました。

1400日以上経ち、ようやく終わりました。

 

予想外

 自分の事ばかり述べていましたが、予想外という副題をつけた通り、この間に本当に予想外のことが起きてしまいました。

お母さんがくも膜下出血で倒れたのです。

いきなり呼ばれて、病院に来てくれと。

そしたらくも膜下出血でした。

まだ自分が実家に戻ってきて3ヶ月くらいでした。

その時は審査請求をやっている最中でしたから、かなりきつかったですね。

死ぬかもしれないって思い切り医師から言われました。

同意書も書きました。震えてかけなかったな。

16時間の手術やら何回かの手術を乗り越え、なんとかお母さんは還ってきてくれました。

 

その数ヶ月後。

今度はお父さんが倒れます。

悪性リンパ腫、ステージ4でした。

また死ぬかもしれないと言われてしまいました。

同意書も書きました。

お父さんは即入院になりました。

 

あれ?

なんだこれ。

このあたりから現実がよく分からなくなりました。

もう、日常は帰ってこない

そう覚悟しました。

 

いろいろ奮闘したものの

お父さんは還ってはきませんでした。

 

介護だって、通院同行もした。

なんなら自分のメンタルを治す時間だって後回しにしました。(月の通院はきちんと行ってましたが、自分の件でもいっぱいいっぱいで、さらに親のことが重なり爆発寸前でした)

自分の件は頻回に思い出すし。それが嫌で嫌でたまりませんでした。

明日から来なくていい」「友達もいないしさ」「あなたのことを思って」という処分を通知された時のことや当時の状況が特に思い起こされてしまいます。

今考えてみれば、成績書に「カロリーが足りていない」なんて書かれていたこと自体、おかしかったのですが。

 推し活等に逃げまくり、終われば思い出される。まぁ、事件が完全には終わってないから当然でした。その結果、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になりました。

もともと他の特定される心的外傷およびストレス因なんとかって長い病名がついていましたが。

(災害に認められた傷病とは若干違うみたい)

 

誰のせいでもありません

誰のせいにもできません

ただ、重なってしまった。

神様は時に残酷なことをするんだって。

甘神三姉妹ならこれを何て言うのかな?

 

最後にお父さんを火葬する直前、触れたのですが

冷たい、冷たすぎる。

まるで、処分通知されて自分が病院に運ばれた時のあの凍てつくような寒さ。

「お父さん、ごめんね」「そっちで待ってて」

最後の言葉でした。

なんと悲しいことか、今振り返ればそう思います。

 

お母さんとお父さんが病気で2人ともガリガリになってしまったのを見た時は、こんなの嘘だ!夢なんだ!と自暴自棄になったりもしました。

生き地獄。あの時未遂が失敗していなければ…なんて思ったよ。

 

自分の件、親の件、全部を抱え込んだような、いや本来なら抱え込む必要なんかなかったんだけど、誰にも相談できず。

推しやらに逃げては、また引き戻される。

イベントが終わって、夜布団に入れば涙が止まらなくなることも多々ありました。

押しつぶされてしまいそうで、でも暗い話は楽しい時はしたくないからニコニコしてた。

その方が良いんだって(勝手に)思ったから。。


そんなこんなをしていたら、耐えちゃった。

何で生き残ったのか、本当に分からない


 だけどこうなのだと、どこかで感じたことがありました。

この辛さは二度と誰かが経験してほしくない

経験したからこそ、例えば理解することはできるかもしれない。想像はつくかもしれない。

自分が必要かは分からないけど生きてみるか。そんな感じ。

もちろん、推しを推しきれてないから。これからもたくさん推すからというのもあるんだろうけど笑

あ、あの漫画アニメ化してない!じゃあそれまではとか。甘神さんとかそうでしたからね。

 

思ったこと

 単純な理由でいいんだと思った。

生きる理由なんて、明日ご飯食べたいでも良いんだとかね。

(渦中にある時はそんなの考えられず、とにかく貧かったから少しちょこちょこ稼いだりして繋いでたけどね)

 自分は悪いことは頭に残るタイプだったから、とにかく日々で良いこと、楽しいことに目を向けることでなんとか持ち堪えていました。

だけど、それは逃げであり、後ろめたいこととも思っていました。

頑張らないとまずいと思い、資格勉強をしたり。

受かったり受からなかったりしたけど、結果はなんとか出したものもあります。

社会というレールに戻りたい、戻りたいとじゃないと当たり前は二度とこない。なんて気を詰めていたのもあるのかもね。世間体とかさ。

精神疾患は弱い人がなる」「メンタル疾患なんて笑」と言われたり、世間の目をまじまじと感じたこともあります。病気になりたくなくても厳しいものもあるんだと絶望したこともあります。

漢字とカタカナで言い方を分けましたけど、何となく精神の方が重く感じません?

だから精神とは言わずにメンタル系をね、、と言ったり。

 後に、別のことに目を向けるのは逃げではないと医師に言われたのは良かったぁって感じました。

 

あと地味に良かったのは、誰かに会う。オタクでも友達でも推しでも。

そういった意味で亜咲花さんのサテライトツアーのライブは良かった。(ここに載せさせてもらいます)

 

 

 どこかでまた会える気がする…それだけでも本当に嬉しいのです。

だから、亜咲花さんには本当に感謝しかありません。

 亜咲花さんだけでなく、いろんな方々に救われました。

その方々に「ありがとう」のお手紙を送るのが、推し活の一環になってたりね。

 

 それ以外にも、ボランティアに取り組んだりしました。

これは、障がい、高齢、様々な人に会うことができました。困りごとをお手伝いすることで、誰かの役にたてたのかも?って。

ある意味、存在価値を見出し、自分自身の自信の回復にも繋がったりしました。

 

これから

 さて。これからという重大な課題が待ち構えています。この間、いろいろお手伝い(賃貸管理など)などしたものの、やっぱり自分自身の自信というもの、何よりもトラウマがあります。

だけど何もそれだけではない。できていることもあるんじゃない?って思えるようにようやくなってきました。

それは、諦めず、頑張っていたこと?、先述した一連の事件について、和解まで持っていったことが「よく頑張ったね」って言われるようになったからです。

だから、やることってやっぱり大事で「簡単に諦めてはいけないのでは?」って。

これは自分が経験したことから分かったことです。

 自分はこのような困難から得た経験を自分だけで終わらせたくありません。

次に誰かがそうなりそうなら、何か防ぐものになりたいとか、いつかできたらなと思っています。

まずは、自分を守れるように。それができて、相手を守れるようになるのだそうです。(nano.RIPE きみコさんより)

 

 そう。

なのでまずは、自分の日常を取り戻すために、もう一度ゼロからやり直していきます。

なかなか難しいとは思いますが、焦らずにやっていきたいです。

ここまできてしまったから、のびしろしかないのだそうですよ😇😇

耐える、挑戦する、諦めるなどいろいろ選択してきたのもあって、精神的には強くなった(そうです)

選択ってSTEINS;GATEみたいだよね。

いろんな世界線はあったんだろうけど、選択して出会っては別れて。挑戦しては諦めて。

それで今があります。

最悪の世界線もあったわけですが、上手く選択できたのかな…?

 

 冒頭で述べた「桜は散り際が美しい」という言葉。

自分は散る美しさと、散ってもまた次も同じ花を咲かせる、この二つの意味を考えました。

「青葉は咲く。季節はかわっても」(Wake Up, Girls! 言の葉 青葉より)

この歌詞にもある通りかなって。辛い時はよく歌っていましたねぇ…

 散る美しさもそうだけど「儚さ」と「また会えるよ」って。そのように思ってここまで来たのかも?なんて。

 

 これからはもっともっと楽しいこと、推し活もしながら、これからのことも取り組みます。

いままでのことで、大変ご心配をおかけしました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

併せて、関わってくれた皆さまに、改めて感謝申し上げます。

 

本当にありがとう。

 

 これからも、のびしろにょきにょきな私をよろしくお願いします。

 

(ゴルフの飛距離も伸びしろにょきにょきしてほしいものですね😇)


 今回で一応は終わりになります。

今後は、日記程度をごにょごにょっと書く予定であります。

良かったら覗いてやってください。


今まで本当にありがとうございました。

2025.3.31