卒業
こんにちは、立松です。
1年間JCN足立チャンネルで
「トピためっ!」のキャスターを
担当させていただいておりましたが、
晴れて卒業となりましたあ!
と、いうことで先日打ち上げを
していただきましたよ。
だいぶ酔っ払いの私です。
で、隣の方は「整いました!」で
お馴染みのネズッチです。
腕組んじゃってすいません。
なんかだいぶいい感じでお酒が体内に回り始めてるころでしょーか…
ネズさんと木曽さんのWコロンさんは
木・金を担当されていました。
続いて、プロデューサーの折田さんと
同じく卒業なる小西由里奈ちゃんと
3ショット!
いいのかな?折田さん、でても?
まぁ、いいか。
本当にありがとうございました。
一年お世話になったアリヤ姉さん、
そして、ニックス姉さんと!
楽しくそしてとても早い一年でした!
iPhoneからの投稿
1年間JCN足立チャンネルで
「トピためっ!」のキャスターを
担当させていただいておりましたが、
晴れて卒業となりましたあ!
と、いうことで先日打ち上げを
していただきましたよ。
だいぶ酔っ払いの私です。
で、隣の方は「整いました!」で
お馴染みのネズッチです。
腕組んじゃってすいません。
なんかだいぶいい感じでお酒が体内に回り始めてるころでしょーか…
ネズさんと木曽さんのWコロンさんは
木・金を担当されていました。
続いて、プロデューサーの折田さんと
同じく卒業なる小西由里奈ちゃんと
3ショット!
いいのかな?折田さん、でても?
まぁ、いいか。
本当にありがとうございました。
一年お世話になったアリヤ姉さん、
そして、ニックス姉さんと!
楽しくそしてとても早い一年でした!
iPhoneからの投稿
3/11
こんにちは、立松です。
2年前の14時46分地震が起こりました。
皆さんはどこにいたでしょうか?
当時、私は横浜にいて、駅ビルの中の飲食店で遅い昼食を食べている最中でした。
地震の前、お店に入ってすぐに時計を見て時間を確認しました。14時45分前くらいだったと記憶しています。
そのあとすぐに東北沖大地震が起こりました。
地震で建物が揺れて、すぐに収まるだろうと最初のうちは気にもかけなかったのですが、なかなか地震の揺れは収まらずむしろ激しく揺れる地震。
「もしかしたら死ぬかもしれない」
心臓の鼓動がバクバクと鳴りました。
隣に座っていた女の子二人は不安と恐怖で悲鳴を上げ、食べかけのプレートを置いて一目散でお店から逃て行きました。その悲鳴が私の恐怖を余計に助長させたかもしれません。
揺れが収まり、この後の仕事を考えて急いで駅にいきましが、全線ストップ。京急線にいたっては停電も重なり真っ暗な改札口が目に飛び込んできました。
「仕事、どうしよう…」
その時はそんなことぐらいにしか思っていませんでした。
ただ、その後に起こる余震は駅全体を強く揺らし、今にも駅ビルの看板や電光掲示板が落ちてきそうだったのを覚えています。
ネットもメールも電話も通じず、情報がないものの、どうやらすごい地震が起こったらしいということは伝わってきました。
何時間か駅で彷徨い、構内のスクリーンに映し出される津波を見て、本当に大変なことが起こったんだと初めて知りました。
真っ黒な波とその波に押される車や家…
昔、道徳の時間に習った「津波」。
津波は恐ろしいから高台へ逃げるんだよって先生は教えてくれました。
でも私は海のない街で育った為、
津波を実際に見たこともないし、
恐ろしさもあまりわかりませんでした。
今その津波が全てを飲み込んでいる姿を見て茫然と映像を見るしかありませんでした。
津波はやっぱり恐ろしいんだと。。
あれから2年。
今日、テレビの取材で仙台から被災している女の子がこう言っていました。
「船(陸に乗り上げられている)は撤去しないでほしい。
だって、ここまで波がきたっていうことをみんなに知ってほしいから」
まだ小学中学年くらいの女の子が、真っ直ぐに前を向き、堂々と故郷のこれからを答えている姿を見て、
頼もしくもあり、しかし、
まだまだ復興がすすんでいない現状をひしひしと感じ、また、
自分にできることを改めて問う一日
だったと思います。
2年前の14時46分地震が起こりました。
皆さんはどこにいたでしょうか?
当時、私は横浜にいて、駅ビルの中の飲食店で遅い昼食を食べている最中でした。
地震の前、お店に入ってすぐに時計を見て時間を確認しました。14時45分前くらいだったと記憶しています。
そのあとすぐに東北沖大地震が起こりました。
地震で建物が揺れて、すぐに収まるだろうと最初のうちは気にもかけなかったのですが、なかなか地震の揺れは収まらずむしろ激しく揺れる地震。
「もしかしたら死ぬかもしれない」
心臓の鼓動がバクバクと鳴りました。
隣に座っていた女の子二人は不安と恐怖で悲鳴を上げ、食べかけのプレートを置いて一目散でお店から逃て行きました。その悲鳴が私の恐怖を余計に助長させたかもしれません。
揺れが収まり、この後の仕事を考えて急いで駅にいきましが、全線ストップ。京急線にいたっては停電も重なり真っ暗な改札口が目に飛び込んできました。
「仕事、どうしよう…」
その時はそんなことぐらいにしか思っていませんでした。
ただ、その後に起こる余震は駅全体を強く揺らし、今にも駅ビルの看板や電光掲示板が落ちてきそうだったのを覚えています。
ネットもメールも電話も通じず、情報がないものの、どうやらすごい地震が起こったらしいということは伝わってきました。
何時間か駅で彷徨い、構内のスクリーンに映し出される津波を見て、本当に大変なことが起こったんだと初めて知りました。
真っ黒な波とその波に押される車や家…
昔、道徳の時間に習った「津波」。
津波は恐ろしいから高台へ逃げるんだよって先生は教えてくれました。
でも私は海のない街で育った為、
津波を実際に見たこともないし、
恐ろしさもあまりわかりませんでした。
今その津波が全てを飲み込んでいる姿を見て茫然と映像を見るしかありませんでした。
津波はやっぱり恐ろしいんだと。。
あれから2年。
今日、テレビの取材で仙台から被災している女の子がこう言っていました。
「船(陸に乗り上げられている)は撤去しないでほしい。
だって、ここまで波がきたっていうことをみんなに知ってほしいから」
まだ小学中学年くらいの女の子が、真っ直ぐに前を向き、堂々と故郷のこれからを答えている姿を見て、
頼もしくもあり、しかし、
まだまだ復興がすすんでいない現状をひしひしと感じ、また、
自分にできることを改めて問う一日
だったと思います。






