【特集】さよなら、漆黒の怪物。
ブラックエンペラーが背負った「完璧」という名の孤独と、最後の2分30秒
文:月刊サラブレッド編集部
その馬は、生まれた時から「王」になることを義務付けられていた。
父ディープインパクト、母エンプレスディアラ。
輝く青鹿毛の馬体は、闇夜を切り取ったかのように美しく、そして恐ろしいほどに強かった。
ブラックエンペラー。
通算26戦16勝。G1勝利数7勝。獲得賞金19億2500万円。
記録にも記憶にも残るこの名馬のストーリーは、常に「完璧」との戦いだった。
■ 2秒8の「断絶」から始まった伝説
伝説の幕開けは、5年前の東京競馬場だった。
新馬戦。彼が記録したレコードタイムは、2着馬を10馬身突き放す衝撃的なものだった。
「次元が違う」
誰もがそう口にした。そのレースの遥か後方、2.8秒遅れてゴールした白い馬(レインボーダッシュ)のことなど、当時は誰も気に留めていなかった。ブラックエンペラーにとって、ライバルなど存在しなかったのだ。
無傷のホープフルS制覇、そして皐月賞、日本ダービー。
彼はただ走るだけで、他馬を絶望させた。
「無敗の三冠馬」の誕生を誰もが疑わなかった。だが、京都の3000m、菊花賞。
ゴール寸前、伏兵にクビ差かわされた時、初めてスタジアムは悲鳴に包まれた。
「皇帝も、神ではなかった」
その敗北は、彼をただの「速い馬」から「強靭な精神を持つ戦士」へと変えた。
直後の有馬記念。古馬を相手に怒りのような激走を見せ、3歳にして頂点に立ったあの日、本当の意味で「帝王」が誕生したのだ。
■ 世界の壁、そして忍び寄る黄昏
4歳から5歳にかけての彼は、まさしく無敵だった。
大阪杯、宝塚記念、ジャパンカップ、天皇賞・秋。
国内のビッグタイトルを総なめにし、フランス・凱旋門賞では世界最強馬相手に僅差の2着。
ドバイシーマクラシックで悲願の海外G1制覇も成し遂げた。
しかし、サラブレッドの時間は残酷だ。
6歳の秋、ジャパンカップで初めて馬券圏内(4着)を外した時、主戦の剣崎ハヤト騎手は感じていた。
「王の剣が、錆びつき始めている」
全盛期の爆発的な加速力が、徐々に鳴りを潜めていく。7歳の春、海外遠征で勝てなかった日々。
「もう十分だろう」「引退させてやるべきだ」
世間からはそんな声も聞こえ始めた。
それでも、陣営はラストランの地に、日本の有馬記念を選んだ。
「皇帝は、逃げない」
その矜持だけが、老いた体を突き動かしていた。
■ 宿命のラストラン
迎えた12月の有馬記念。単勝1番人気。
ファンは彼に「夢」ではなく「敬意」を込めて票を投じた。
ゲートが開く。ブラックエンペラーは、全盛期を彷彿とさせる完璧な立ち回りを見せた。
4コーナー、先頭。
悲鳴にも似た歓声が上がる。
「強い! やっぱり皇帝は強い!」
誰もがその勝利を確信した瞬間だった。
外から、白い影が飛んできた。
かつてデビュー戦で、視界にも入らなかったあの白い馬だ。
泥にまみれ、地方の砂を噛み、数えきれない敗北を重ねてきた「雑草」。
レインボーダッシュ。
(来るなら、お前か)
ブラックエンペラーがそう思ったかどうかは分からない。
だが、最後の直線、彼は確かに笑っていたように見えた。
衰えた脚を叱咤し、死力を尽くして食い下がる。
エリートと雑草。王道と邪道。黒と白。
全ての対極にある二頭が、馬体を併せてゴール板を駆け抜けた。
結果は、ハナ差の2着。
デビュー戦の「2.8秒差」は、5年の月日を経て「0.0秒差」に覆された。
■ 完璧ではなかった、だから愛された
レース後、引退式で剣崎騎手は涙を流さなかった。
「あいつは最後まで帝王でした。負けた相手が、ただ強すぎただけです」
無敗ではなかった。凱旋門賞も勝てなかった。最後はリベンジを許して去っていった。
だが、その「人間臭い」キャリアこそが、ブラックエンペラーをただの強い馬以上の存在にしたのではないだろうか。
ターフを去る漆黒の馬体は、夕陽を浴びて黄金色に輝いていた。
その背中は語っていた。
「王道を歩むことの苦しみと、それを全うした誇り」を。
さよなら、ブラックエンペラー。
君は間違いなく、一つの時代そのものだった。

【ブラックエンペラー】競走成績(完全版)
**父:**ディープインパクト **母:**エンプレスディアラ **母父:**キングカメハメハ
**生年月日:**2019年3月15日
**性齢:**牡・青鹿毛
**所属:**栗東・西園寺厩舎
**通算戦績:**26戦16勝(うち海外5戦1勝)
**獲得賞金:**19億2,500万円(海外含む)
**主戦騎手:**剣崎ハヤト
**主な勝鞍:**東京優駿(G1)、ジャパンカップ(G1)、有馬記念(G1)、ドバイシーマクラシック(G1)など

【2歳:伝説の幕開け】
10月 東京 芝1800m 2歳新馬:- 1着(14頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※衝撃のレコード勝ち。2着に10馬身差、12着のレインボーダッシュに2.8秒差をつける。
12月 中山 芝2000m ホープフルステークス(G1):- 1着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※好位から楽に抜け出し、無傷のG1制覇。
【3歳:黄金の輝きと、初めての土】
3月 中山 芝2000m 弥生賞ディープインパクト記念(G2):- 1着(10頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※始動戦を快勝。
4月 中山 芝2000m 皐月賞(G1):- 1着(18頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※他馬を子供扱いする末脚で一冠目奪取。
5月 東京 芝2400m 東京優駿(日本ダービー)(G1):- 1着(18頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※単勝1.1倍の圧倒的支持に応え、無敗の二冠達成。
- 9月 中京 芝2200m 神戸新聞杯(G2):
- 1着(12頭)/剣崎ハヤト/1番人気
10月 京都 芝3000m 菊花賞(G1):- 2着(18頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※距離適性の差か、ゴール寸前で伏兵にクビ差差され、三冠の夢が散る。初めての敗北。
12月 中山 芝2500m 有馬記念(G1):- 1着(16頭)/剣崎ハヤト/3番人気
- ※古馬を相手に怒涛の強襲。3歳馬として15年ぶりの勝利を挙げ、年度代表馬に選出される。
【4歳:世界最強への飛躍】
4月 阪神 芝2000m 大阪杯(G1):- 1着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※横綱相撲で完勝。
6月 阪神 芝2200m 宝塚記念(G1):- 1着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※ファン投票1位に応え、春のグランプリ制覇。
10月 仏国 芝2400m 凱旋門賞(G1):- 2着(20頭)/C.ルメール/2番人気
- ※重馬場のロンシャンで死闘を演じるも、地元馬にわずかに及ばず。
11月 東京 芝2400m ジャパンカップ(G1):- 1着(15頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※帰国初戦。凱旋門賞2着の鬱憤を晴らす圧勝劇。
【5歳:盤石の帝王】
1月 中山 芝2200m AJCC(G2):- 1着(14頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※始動戦。8番人気のレインボーダッシュ(11着)を相手にせず勝利。
- 4月 香港 芝2000m クイーンエリザベス2世カップ(G1):
- 3着(8頭)/剣崎ハヤト/1番人気
6月 阪神 芝2200m 宝塚記念(G1):- 2着(14頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※連覇ならず。
10月 東京 芝2000m 天皇賞・秋(G1):- 1着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※レコードタイムで古馬の意地を見せる。
- 12月 中山 芝2500m 有馬記念(G1):
- 3着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
【6歳:円熟と陰り】
3月 ドバイ 芝2410m ドバイシーマクラシック(G1):- 1着(12頭)/剣崎ハヤト/2番人気
- ※悲願の海外G1タイトルを獲得。
10月 東京 芝2000m 天皇賞・秋(G1):- 2着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※連覇を狙うも、新興勢力に屈する。
11月 東京 芝2400m ジャパンカップ(G1):- 4着(15頭)/剣崎ハヤト/2番人気
- ※国内で初めて馬券圏内(3着以内)を外す。「王者の黄昏」と囁かれ始める。
【7歳:ラストランのドラマ】
- 3月 ドバイ 芝2410m ドバイシーマクラシック(G1):
- 3着(10頭)/剣崎ハヤト/3番人気
4月 香港 芝2000m クイーンエリザベス2世カップ(G1):- 2着(8頭)/剣崎ハヤト/2番人気
- ※海外を転戦し、全盛期の力は見られないものの、地力の高さを示す。
- (この間にレインボーダッシュが天皇賞・春を制覇)
10月 東京 芝2000m 天皇賞・秋(G1):- 5着(16頭)/剣崎ハヤト/3番人気
- ※帰国初戦。掲示板確保がやっとの結果に、引退が発表される。
12月 中山 芝2500m 有馬記念(G1):- 2着(16頭)/剣崎ハヤト/1番人気
- ※引退レース。
- 「終わった」という声を覆す完璧なレース運びで直線を独走。
- 勝利を確信した瞬間、外から飛んできた宿敵レインボーダッシュ(12番人気)にハナ差かわされる。
- 勝つことはできなかったが、最強馬としての強さを最期まで見せつけ、種牡馬入り。
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