一体皆何を思って生きているんだろう?
とかいう妄想はもうやめた。というかそれどころじゃねえ。
生きるのに理由なんてないのだ。
生まれたから生きているという単純なものなのだ。
とある人のブログに書かれた文章がとても好きで、ああずっとこの文章の羅列を目で追いたい、と思ってしまった。
その人とは親友なのだが、普段から文章を書いているわけではなく、ごく最近ダイアローグとして簡単なまとめを箇条書きにしているだけである。
しかし時たま映画の評論なんてもんを息抜きに書いているではないか。
それがなんとも俺にとっては心地よい言葉運びで、素敵だ。
ということを今度その親友に伝えようと思う。
先輩から輸入ビールの美味しさを説きふされ、こうして休みの前日ともなるといそいそと買ってきては、どれが美味しいのかと買ってはみるのだが、やはり今のところ銀河高原ビールが俺の肝臓を掴んで離さない。
なんだよそれ輸入でもなんでもねーじゃねーか。と言われても美味しいと思うのだから仕方ない。
銀河高原ビールの風呂に入りたいくらいだ。
ちなみに親父は「銀河高原ビールは、今までたくさん飲みすぎてもう美味さを感じない」と言っていた。達人の領域だ。
つうか飽きただけなんだろうけれど。
考えるということをずっと行っているのと、考えないということをずっと行っているのではどっちが大変なのだろうか。
何かもう、そういうこととか上に書いたこととか、もう全部が全部「そんなの人それぞれだろ」とかいうくだらない固定観念がずっと傍にあって、どうしようもない。
サラリーマンが仙人になるくらいの環境変化を起こさないと、拭い去れないような気がする。
周囲からは考えるなとも言われるし、けれどもずっと頭の中にある。
確かに考えてても仕方がないことがあるにはあるんだけれど、それって諦めだよなあと思った。
しかし、それを変えうるだけの力が自分には無い事がとても悔しいし、腹が立つ。
目的を持たないで書く文章って、本当に意味がないね。
その都度「あっ」て思ったことをただ書いてるだけに過ぎないんだから。
語彙が足りないとか経験が足りないとかそういうこと抜きにしても。
ちょっと脇道にいくと不平不満の軍隊が雪崩のように押し寄せてきそうだから、それをこらえてるだけなのかもしれないけれど。
空に憧れて
空を駆けていく
とかいう妄想はもうやめた。というかそれどころじゃねえ。
生きるのに理由なんてないのだ。
生まれたから生きているという単純なものなのだ。
とある人のブログに書かれた文章がとても好きで、ああずっとこの文章の羅列を目で追いたい、と思ってしまった。
その人とは親友なのだが、普段から文章を書いているわけではなく、ごく最近ダイアローグとして簡単なまとめを箇条書きにしているだけである。
しかし時たま映画の評論なんてもんを息抜きに書いているではないか。
それがなんとも俺にとっては心地よい言葉運びで、素敵だ。
ということを今度その親友に伝えようと思う。
先輩から輸入ビールの美味しさを説きふされ、こうして休みの前日ともなるといそいそと買ってきては、どれが美味しいのかと買ってはみるのだが、やはり今のところ銀河高原ビールが俺の肝臓を掴んで離さない。
なんだよそれ輸入でもなんでもねーじゃねーか。と言われても美味しいと思うのだから仕方ない。
銀河高原ビールの風呂に入りたいくらいだ。
ちなみに親父は「銀河高原ビールは、今までたくさん飲みすぎてもう美味さを感じない」と言っていた。達人の領域だ。
つうか飽きただけなんだろうけれど。
考えるということをずっと行っているのと、考えないということをずっと行っているのではどっちが大変なのだろうか。
何かもう、そういうこととか上に書いたこととか、もう全部が全部「そんなの人それぞれだろ」とかいうくだらない固定観念がずっと傍にあって、どうしようもない。
サラリーマンが仙人になるくらいの環境変化を起こさないと、拭い去れないような気がする。
周囲からは考えるなとも言われるし、けれどもずっと頭の中にある。
確かに考えてても仕方がないことがあるにはあるんだけれど、それって諦めだよなあと思った。
しかし、それを変えうるだけの力が自分には無い事がとても悔しいし、腹が立つ。
目的を持たないで書く文章って、本当に意味がないね。
その都度「あっ」て思ったことをただ書いてるだけに過ぎないんだから。
語彙が足りないとか経験が足りないとかそういうこと抜きにしても。
ちょっと脇道にいくと不平不満の軍隊が雪崩のように押し寄せてきそうだから、それをこらえてるだけなのかもしれないけれど。
空に憧れて
空を駆けていく