そんなこんなでブログをお休みしておりました。
今日、退院してきた娘に姑が開口一番
「なんだ、顔丸くなったんじゃないか?」
年頃の娘。実際に4キロもめっちゃ太ったことを気にしてたのに。。。。(笑)
娘は私に
「おばあちゃんって、正直でかわいいよね」
昨日は主人が休みだったのですが、病院にお見舞いに行く気配なし。。。。
毎週水曜日は主人の自由時間だからね。一人でお出かけするのが常。
一度くらいお見舞いに行けばと思いながら、熱を出した私の代わりに顔を出してとお願い。
夕方にお菓子をもって顔を出してきたらしく、
「お父さんが来てくれて、めっちゃうれしかった!楽しかった!」
と私にlineが送られてきました。
娘は本当にピュアなのです。
ある方に言われたのですが、人間の修行の完成系に近いそうです。
なるほど納得!
妬み・嫉み、全くなし。
今をうれしく・楽しく・ワクワク過ごすことの名人です。
そして、常に人の愛に意識を向けています。
いつも愛の気づきをくれる師匠と言えます。
実は、おばあちゃんは娘をあまりかわいがっていませんでした。
兄弟間のひいきがあまりにひどく、
私はそれがずっと悔しくて、戦い続けていました。(もう祝卒業!)
でも、娘はそんなことちっとも気にしていない。
家族で旅行した時、高齢のおばあちゃんに寄り添い歩いていた娘。
アナ雪のセリフじゃないけど、愛は堅い氷を解かすんですね。
それから、おばあちゃんは娘への態度が変わり始めました。
「そうよ、愛よ」(BY エルサ)
出来事ってその人が意味づけするもので、本当は意味なんかないって思います。
おばあちゃんが娘をかわいがらなかったことも。
主人が娘のお見舞いに行こうとしなかったことも。
本質的には意味がない。善悪がないにたどり着く。
ただ、内側の愛を現せるように経験を積んでいる。
経験を積むと、娘のようにピュアになれるんだな。
だから無理する必要ないんですよね。
ピュアのふりとか(笑)
その時に自分の感じたことをちゃんと認めていくことが一番。
そのために経験してるんだから。
セッションで扱うことの多い、小さい頃のさみしさ。
自分の否定的な感情を感じるのはお母さんに悪いなとかじゃなくて、
小さい自分はこんなにさみしかったんだってわかってあげればいいだけ。
自分の未消化の感情を消化すると、
その時の捉え方がかわって、愛されてたんだってて気づくことも多いんですよ。
さぁ、高熱後、何かを浄化したように軽い私
9月までさらにどこまで軽くなれるのかな?
一緒に進む方、募集中。
講座の日にもご相談に応じています(*^^*)
メニュー
初めての方へ