※約1年ぶりの投稿になります。すんません。。。
まず、断っておきますが、僕がipodを使いだしたのが2~3年前、iphoneが去年(4から)、ipadも2から、と極めて初級の、いわばにわかappleファンです。でも、にわかだから想っちゃダメ!ってことも無いので、想ってみます。
スティーブ・ジョブズの死去のニュースは瞬く間に僕のtwitterのタイムラインを埋め尽くし、その後追悼の呟きが埋め尽くしました。これほど多くの日本人が愛した外国人も珍しいのではないでしょうか?しかも何故だか、「逢った事も無い人をそこまで悲しむか?」というような、冷めた感情が僕からは一切出て来ず、にわかの僕ですら、一緒に悲しみを享受する気持ちになりました。
何故、これほどまでジョブズは愛されたのか?それは、まさに我々のライフスタイルを創造してくれたからに他なりません。僕がなかなかipodを持たなかったのはデータ音源の音質が悪いから。ipod全盛時代もずっとパナソニックのCDウォークマンを聴いていました。
確かに、ipodの音質は悪い。boseのイヤホン使っても、やっぱり悪い。けど、飛躍的に便利。なんせCDウォークマンだと1つのアルバムしか聴けなかったので、毎朝どのCDを入れるか考え、迷った時は数枚持ち歩くような感じだったのが、あの小さなデバイスを持てば何の迷いもなく家を出られる訳ですから。今となっては極めて当たり前の事ですが、まさにこの当たり前の事を創り上げたからこそ、ライフスタイルを創造したと言えるのでしょう。勿論、iphone、ipadは言うまでもなく、右に同じだった。
windows時代はパソコンはそういう機器、つまり何となく堅苦しくて、つまんなくて、でも便利な道具だったものが、macに変えて全てが興奮を帯びたエンターテイメントになった。写真や動画の編集なんかも遊びでやりたくなってやってみた。全てが遊びのような感覚で触れる。見た目も良い。もう色んなところで語り尽くされている事実ですが、改めてそう思ったのでありました。
ジョブズはビジョンの人と言われますが、決して壮大な計画を話す人ではなく、例えばiphoneを見せながら、iphoneならこんな事が出来ると説明する、いわば極めて「今」に即したビジョンを持った人でした。ミッション、ビジョンといった言葉が経営の世界でももてはやされていて、それは確かに重要な要素ではあるけども、僕にはどうも胡散臭い感じが拭えなかった。つまり、壮大なビジョンは優れた経営者も語れるが、口だけの人間にでも出来るという事実。特に僕は結構デカい事を思ってしまうタイプなので、時に口だけになってしまう恐れがある。ビジョンって本当に重要なんだろうか?そう思った時、ジョブズの例は僕のお腹にすっと落ちた。つまり、それがモノであれ何であれ、これがあるからこうしたいと語れるかどうか。
世の中をこうしたい!という想いはだいたいの人が大なり小なり持っているもので、ただのサラリーマンが「世界を平和にする!」とか「脱原発社会を実現する!」と言っても戯言だと言われて然るべきで、実際に再生可能エネルギーの会社を立ち上げるとか、少なくとも原発含めたエネルギーの勉強を一から徹底的にしてみるとか、相応の行動を伴った上で(聴く人に理解しやすい状態になった上で)そういうビジョンを唱えないと、幾ら優れた人物でもうわ言に留まるんじゃないだろうか。そして、うわ言に留まらずに実行に移したジョブズはやはり僕が言うまでもなく、偉大な人物だったと思う訳です。
一方で、ジョブズはカリスマだとする論調がありますが、僕はいわゆるカリスマとはちょっと違う感覚で見ています。僕の中で、カリスマとは例えば長嶋茂雄さんとか、雲の上感がある人物。ジョブズの残した功績は雲のはるか上ですが、人物像は極めて近い、隣のおじいちゃん的なイメージ。だからこそ、iphoneその他のような、極めて生活に密着した、何度も言っているライフスタイルを変えるような仕事が出来たんじゃないかな、と思っています。
にわかな僕がこれだけ想いが溢れてくるんだから、appleを愛し続けた人達の喪失感は物凄いんでしょうね。いや、にわかとか熱狂的とか置いといて、本当に惜しい人を亡くしました。その気持ちは同じです。次は僕らの世代が価値を創造する番だという想いを込めて、本稿を閉じさせて頂きます。
まず、断っておきますが、僕がipodを使いだしたのが2~3年前、iphoneが去年(4から)、ipadも2から、と極めて初級の、いわばにわかappleファンです。でも、にわかだから想っちゃダメ!ってことも無いので、想ってみます。
スティーブ・ジョブズの死去のニュースは瞬く間に僕のtwitterのタイムラインを埋め尽くし、その後追悼の呟きが埋め尽くしました。これほど多くの日本人が愛した外国人も珍しいのではないでしょうか?しかも何故だか、「逢った事も無い人をそこまで悲しむか?」というような、冷めた感情が僕からは一切出て来ず、にわかの僕ですら、一緒に悲しみを享受する気持ちになりました。
何故、これほどまでジョブズは愛されたのか?それは、まさに我々のライフスタイルを創造してくれたからに他なりません。僕がなかなかipodを持たなかったのはデータ音源の音質が悪いから。ipod全盛時代もずっとパナソニックのCDウォークマンを聴いていました。
確かに、ipodの音質は悪い。boseのイヤホン使っても、やっぱり悪い。けど、飛躍的に便利。なんせCDウォークマンだと1つのアルバムしか聴けなかったので、毎朝どのCDを入れるか考え、迷った時は数枚持ち歩くような感じだったのが、あの小さなデバイスを持てば何の迷いもなく家を出られる訳ですから。今となっては極めて当たり前の事ですが、まさにこの当たり前の事を創り上げたからこそ、ライフスタイルを創造したと言えるのでしょう。勿論、iphone、ipadは言うまでもなく、右に同じだった。
windows時代はパソコンはそういう機器、つまり何となく堅苦しくて、つまんなくて、でも便利な道具だったものが、macに変えて全てが興奮を帯びたエンターテイメントになった。写真や動画の編集なんかも遊びでやりたくなってやってみた。全てが遊びのような感覚で触れる。見た目も良い。もう色んなところで語り尽くされている事実ですが、改めてそう思ったのでありました。
ジョブズはビジョンの人と言われますが、決して壮大な計画を話す人ではなく、例えばiphoneを見せながら、iphoneならこんな事が出来ると説明する、いわば極めて「今」に即したビジョンを持った人でした。ミッション、ビジョンといった言葉が経営の世界でももてはやされていて、それは確かに重要な要素ではあるけども、僕にはどうも胡散臭い感じが拭えなかった。つまり、壮大なビジョンは優れた経営者も語れるが、口だけの人間にでも出来るという事実。特に僕は結構デカい事を思ってしまうタイプなので、時に口だけになってしまう恐れがある。ビジョンって本当に重要なんだろうか?そう思った時、ジョブズの例は僕のお腹にすっと落ちた。つまり、それがモノであれ何であれ、これがあるからこうしたいと語れるかどうか。
世の中をこうしたい!という想いはだいたいの人が大なり小なり持っているもので、ただのサラリーマンが「世界を平和にする!」とか「脱原発社会を実現する!」と言っても戯言だと言われて然るべきで、実際に再生可能エネルギーの会社を立ち上げるとか、少なくとも原発含めたエネルギーの勉強を一から徹底的にしてみるとか、相応の行動を伴った上で(聴く人に理解しやすい状態になった上で)そういうビジョンを唱えないと、幾ら優れた人物でもうわ言に留まるんじゃないだろうか。そして、うわ言に留まらずに実行に移したジョブズはやはり僕が言うまでもなく、偉大な人物だったと思う訳です。
一方で、ジョブズはカリスマだとする論調がありますが、僕はいわゆるカリスマとはちょっと違う感覚で見ています。僕の中で、カリスマとは例えば長嶋茂雄さんとか、雲の上感がある人物。ジョブズの残した功績は雲のはるか上ですが、人物像は極めて近い、隣のおじいちゃん的なイメージ。だからこそ、iphoneその他のような、極めて生活に密着した、何度も言っているライフスタイルを変えるような仕事が出来たんじゃないかな、と思っています。
にわかな僕がこれだけ想いが溢れてくるんだから、appleを愛し続けた人達の喪失感は物凄いんでしょうね。いや、にわかとか熱狂的とか置いといて、本当に惜しい人を亡くしました。その気持ちは同じです。次は僕らの世代が価値を創造する番だという想いを込めて、本稿を閉じさせて頂きます。




