珍しく、盆に実家(正確に言うと、実家のすぐ近くの祖父の家)へ行った。
自分の誕生日に夫のいる家にいたくなかったからである。
私の両親は熟年離婚したので、実家に母はいない。
最終日に父に着いて墓参りへ行った。
寺にある水子地蔵の前で父が呟いた。
「娘(私)と弟に三人目の兄弟がいたんだけどな…」
最悪だ。私はそれが何を意味するのか知っている。
以前母から聞かされたからだ。
数年前、正確にいつだったかは思い出せない。
どういう会話の流れで、どんな風に言われたのかも詳細はもう思い出せない。
「三人目ができたけど堕した」ということを聞かされた。
「お父さんは産んでもいいって言ったんだけどね、私は無理だと思って」と。
私がなんでそんな酷いことをしたのか、と問い詰めたのだったか…
母は「でももし産んでたら、あんたは習い事もできなかったし、大学も行けなかったよ」というようなことを言った。
信じられない。それが親が子に言うことか。
正直に言うと、中絶したということより、中絶したことを子である私に伝えたことが許せない。
そして、中絶したことを責められたら、謝るのでもなく、もし産んでたら私にお金をかけられなかったと酷い言葉で私を黙らせようとしたそのことが本当に許せない。
この件だけで言うと、母だけが悪いのかもしれない。
だが、それとは別に、母が父から望まない性行為を強いられていたことも聞いている。避妊をしてくれなかったことも。(これも親が子に話すのはどうかしているので、腹立たしいが。)
そもそも妊娠させた父が悪い。
父の恐怖政治のようだったあの家で、ワンオペでもう1人育てるという選択は母には無理だったことも理解できてしまう。
私が結婚すると父に伝えた時、「老婆心かもしれないけど、避妊するようにね」とメールしてきた。
気持ち悪くて絶句した。
確かその後に中絶の話を知ったから、あれは自分の過ちを重ねて言ってきたのだろう、と思った。それも気持ち悪い。
気持ち悪過ぎて、私が妊娠した際には報告せず、出産してから報告した。本当は出産しても知らせたくなかった程だ。
本当は私は子どもを作るつもりはなかった。
孫ができることで両親を喜ばせたくなかったし、そもそも私は毎日死にたいと思いながら生きてきたので、こんな思いを子どもにさせたくなかったからだ。
このご時世、結婚したからといって「子どもはまだ?」なんて聞いてくる人はほとんどいなかったが、親戚には会う度に子どもはまだかと聞かれてしんどかった。
私の両親の悪事をこんこんと説明し、私がどんなに毎日死にたいと思って、でも生きている、辛い矛盾を抱えているか理解させたかった。
どの思いも時間が経って、また、パートナーの希望を叶える形で結局は出産したこともあって薄れていたのに、父の今回の言葉でフラッシュバックし、すべて思い出してしまった。
私の両親は毒だ。未だに私をじりじりと苦しめる。
本人達は私がこんなにも苦しんでいることを思いもしないだろう。
例えば、この文章を両親に読ませたらどうか。
母はきっと被害者面して、自分には他に話せる人がいなかったからとか何とか言うだろう。
父はきっと自分は悪くないと主張し、関係ない自分の生い立ちなどを語って言い訳するだろう。
縁を切りたいと何度も思っている。
それなのに、縁を切りきれない自分が辛い。
やはり私が早く死んでおくべきだった。
それが両親への1番の復讐であるし、遺書の一つでも残しておけば、多少は自分達のしてきたことを悔いるだろう。
でも私は生きてしまっているし、子ができた今となっては、その選択肢を取ることもできない。