民主党消滅の始まり (日刊ゲンダイ2010/12/16)


◆根付き始めた2代政党制を後退させた菅直人の大罪

危機管理のまずさと閣僚の相次ぐ失言、マニフェスト放棄の上に、国民イジメの税制改悪……。数々の失政をタナに上げ、失点隠しのために、民主党の小沢一郎元代表の政倫審出席に血道を上げる。もはや、政権交代の使命感を失った脱小沢一本槍のスッカラ菅政権を見ていると、保守長期政権の腐敗を生み出した62年前の「悪夢」がよみがえる。

浅学の菅首相には、サッパリ分からないだろうが、1947年5月に第1次吉田茂内閣に代わって誕生した社会党首班の片山哲連立内閣の話である。保守から革新・中道へ。ドラスチックな変化に、内閣支持率は68・7%を記録した。国民の喝采を浴びてスタートした「政権交代内閣」だったが、翌48年3月にたった9カ月余の短命に終わってしまった。
片山内閣が倒れた大きな理由は、党内抗争の激化である。政権内でスッタモンダを繰り返し、内部崩壊したのだ。
片山首相が、唯一の社会主義的色彩を持ち、いわば「金看板」の政策に掲げたのが、炭鉱国家管理法案だった。当時の日本における唯一の地下資源だった石炭の国家管理を法律で定めようとしたのだが、これがつまずきの元だった。

「国家管理される炭鉱の経営主が猛反発。保守色の強い連立パートナーの民主党に政界工作を重ね、法案を骨抜きにしたのです。しかも、法案採決で民主党の幣原喜重郎派が反対票を投じ、与党・民主党は分裂。片山内閣は5カ月をかけて法案を成立させましたが、政権担当期間の実に3分の2をこの法案成立にあて、ほとんどのエネルギーを費やしてしまったのです」(政治学者)
さらに、抗争劇は社会党内部にも飛び火する。炭鉱国家管理法案を成立させるまでの連立相手・民主党との「距離感」をめぐり、党内右派と左派が支持基盤の労組を巻き込んでの対立にまで発展した。



◆内輪モメを続ける菅政権は片山内閣そっくり

結局、片山内閣は官公庁職員の臨時給与をめぐる補正予算案が財源問題で紛糾。鈴木茂三郎が率いる社会党左派の造反による補正予算案の否決という裏切りにあって、総辞職を余儀なくされたのである。
政治学者の五百旗頭真氏(神戸大名誉教授)は炭鉱国家管理法案について、著書の中で「何の実質的意味もなく、政権を満身創痍にしただけの空騒ぎ」と論じた。この言葉は、小沢の「政治とカネ」、政倫審問題をめぐって内輪モメを続ける今の民主党政権の状況にもピタリ当てはまる。
五百旗頭氏は同じ著書で、片山内閣の問題点を次のように指摘した。「権力感覚が乏しく危機対応能力がない」片山首相が、「政略的ジャングルにからまって冷徹明敏な頭脳が混濁し始めた」西尾末広官房長官を「支えてやることができなかった」と。まるでボンクラ菅と策士気取りの仙谷官房長官を言い当てているような言葉だ。歴史は繰り返すのである。

片山内閣が総辞職に至った経緯は、党内抗争の火に油を注ぐだけの菅政権の今後を暗示しているようだ。
片山首相について、著書「アホな総理、スゴい総理」の中で「政権運営から人事、政争いずれも不得手の政治家とりわけ一国の宰相としての限界だった」と酷評した政治評論家の小林吉弥氏は、こう言う。
「同じ評価は菅首相にも言えます。野党の党首としては威勢が良かったが、いざ与党の立場で守勢に立たされると、めっぽう弱い。権力を掌握する政治力が欠けているのです。ただし、当時の状況と比べても、今の民主党内のイザコザはひどい。あまりにもレベルが低過ぎます。片山政権の内紛の前提には、イデオロギーと路線の対立という大義がありましたが、今の民主党政権は単なる主導権争いだけです。小沢氏の国会招致問題も、政権の座にしがみつきたい菅首相の打算しか見えません。この60年余で日本の政治は本当に劣化しました」
片山内閣に続く民主党の芦田均内閣が昭和電工疑獄で倒れ、政権交代はたちまち失敗に終わった。「中道政権のあっけない挫折が、後の保守長期政権を準備した」とは吉田茂元首相の述懐である。
17年前の93年に誕生した細川連立政権も、政権の主導権を握った新生党の小沢幹事長(当時)と、社会党の内部対立が熾烈化したことが、政権崩壊の引き金といわれている。その背後には、小沢に対抗心を燃やした武村正義官房長官の策謀があり、小沢と社会党の内部対立をあおったのだ。策謀好きの仙谷官房長官にも言えることだが、政権を支える官房長官が暴走すれば、政権は短命に終わる。



◆下手すれば2度と政権には返り咲けない ?

内部のゴタゴタ続きで細川・羽田両政権が崩壊した後、政権は自・社・さへ移り、再び自民党政権に戻っていった。せっかくの非自民政権は、わずか9カ月で幕を閉じ、その後も15年にも及ぶ自民党長期政権を許してしまったのだ。
「小沢問題で内部抗争をあおる菅首相は戦後政治の先例を学ぶべきです。このまま、内部崩壊で自滅すれば、片山・細川両内閣の二の舞いです。菅首相のやり方は自ら墓穴を掘っているように映ります」(法大教授・五十嵐仁氏=政治学)

国民が政権交代の果実を得る前に勝手に民主党政権が自滅の道を歩むなんて許されない。小沢をめぐる内部抗争のゴタゴタに国民は辟(へき)易(えき)している。過去の前例を繰り返せば、この先、民主党が二度と政権の座につくことはないだろう。ようやく根付き始めた2大政党制を大きく後戻りさせた「無能・無策・愚鈍」首相・菅直人の罪は重大である。前出の五十嵐仁氏も、こう言うのだ。
「民主党政権の出発には、国民が政権交代に高い期待や夢を込めていただけに、裏切られた場合は、その反動も大きい。民主敗北続きの直近の地方選挙の結果を見れば、『せっかく1回やらせてみたのに、このザマか』という国民の怒りや絶望感が表れています。このまま内紛を続けていれば、二度と民主党に投票しない有権者を増やすだけです」

枝野幹事長代理あたりは「政治主導なんてウカツなことを言った。与党がこんなに忙しいとは」とヌケヌケと言い放ち、民主党内にも「一度、下野するのも手だ」と語る議員も多いという。本当に考えが甘い連中ばかりだ。ここで政権が崩壊すれば、二度と返り咲く機会はないと覚悟すべきである。
1947年の政権交代選挙で社会党が第1党を取ったと聞いた時、当時の西尾末広書記長は「えらいこっちゃ」と頭を抱え、総理となった片山もまた「弱った」とうつむいてしまったという。自らの政権能力が未熟という自覚があったからの発言だが、はたして菅にその自覚はあるのか。あれば、サッサと首相の座から降りるべきだ。



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