「小沢・鳩山兄弟・舛添の4者会談」に至る経緯を少し詳しく説明しておこう
日本の政治家は秘密を守れない人種である

舛添レポート
(現代ビジネス2010年12月14日) http://bit.ly/hVYcTe

先週は、8日に小沢一郎氏と、そして翌9日には菅首相と、夕食をともにしながら意見交換を行った。丁度同じタイミングで、読売新聞の渡邉恒雄主筆が自民党の谷垣総裁を訪ねて大連立を模索したり、小沢氏周辺の動きがあったりしたので、政局が始まったと、大きな反響を呼ぶことになった。

 フィクサー気取りの政治家どもが、何か私に出し抜かれたとでも思ったのか、恫喝まがいのケチをつけてくる。迷惑至極である。

 日本が沈没しそうなときに、敵であれ味方であれ、会って意見を交換し、激論を戦わせることがなぜ悪い。しかも、両会合とも相手方からの呼びかけに応じたもので、こちらからお願いしたものではない。小沢氏にも菅総理にも、全くぶれることなく私の日頃からの主張を展開してきたまでである。

 少し詳しく、会談に至る経緯などを説明しておこう。

 まず、8日の小沢・鳩山兄弟・舛添の4者会談であるが、これは、旧知の(鳩山邦夫氏は私の大学の同級生、鳩山由紀夫氏は20年前から北海道を舞台に交流)鳩山兄弟から1ヵ月前くらいに連絡があり、小沢氏も加えて、一杯飲もうとお誘いがあった。

 小沢氏も、これまでも席を同じくすればきちんと話をする間柄である。別に断る理由もないので了承したが、多忙な4人である。11月には調整ができず、12月8日と決まったのである。

 私は、変な憶測を呼ぶのが嫌なので、この会合は極秘にしてくれと要請していた。私は必ず秘密を守るので、番記者たちも私に聞くのは、最初から諦めている。今回の会合のことは、私の妻も秘書も知らなかった。ところが、前日から情報が漏れはじめ、夕食会の会場に着くと、すでにマスコミが大挙して取り囲んでいた。日本の政治家は、秘密を守れない人種である。

この会合では、日本が危機的状況にあることを強調しておいた。それは、菅政権の失敗であるし、民主党のガバナンスの問題であることも指摘しておいた。民主党内の権力争いは、私に関係ないし、勝手にやってくれという感じである。私は、小沢氏が国会できちんと説明すべきだということを一貫して主張してきており、今もその主張を堅持している。

 一方、菅首相からは、国会後半になって連絡があった。菅さんは自分の携帯電話で私の携帯電話にかけてきた。私が厚生労働大臣のときも、当時は野党だった菅さんがよくこの方式で要望を伝えてきた。

 たとえば、派遣労働者の日比谷公園テント村については、菅さんの申し出に応えて、厚生労働大臣として最大限の支援をした。与野党と立場は違っても、同じ団塊の世代に属する仲間として、基本的な信頼・友情関係は維持している。

 その菅さんも総理になって大きな困難に直面している。とくに自分の専門分野ではない外交や経済について、私の意見を聴きたいと言ってきた。私は、国会が閉幕してからゆっくり話そうと答えておいたが、多忙な総理の日程を調整するのに時間がかかり、結局9日の夜9時からの会食ということになったのである。

 この会合の件は、菅さんからも私からも口外していなかったが、首相にはSPや総理番記者が寄り添っている。会食が始まってから総理番記者が各社に連絡して、それからマスコミが会食場所に馳せ参じたのである。会食の場所、日時まで関係者が事前にマスコミにリークした前日の会合とは全く違う。

 むろん二人きりで、国際情勢などについて意見を交換したが、私は総理に対して、日本が今、危機的な状況にあることを認識すべきだと強調した。これに対して、首相もまた同感だと答え、政策決定システムに欠陥があるという認識を示した。

 さらに、私は、経済・金融政策については内閣がもっと日銀をコントロールすべきこと、また、社会保障については、財源問題も含めて与野党協議の場を作ることを提案した。

 12月8日、9日と二日間連続の会合となったが、たまたまそうなっただけのことである。

 私は、日本の国益と日本人の生命と財産を守り抜くという決意で、国会議員の職責を果たしているのであり、自らの主張は、相手が菅首相であれ、小沢氏であれ、誰であれ、変えることはない。大所高所から、日本、そして日本人の未来が明るくなるように激論を交わすのみである。