倒閣か再編か 牙を剥き始めた「小鳩」

(文藝春秋2011年1月号「赤坂太郎」)    http://bit.ly/eN2Gox

外交も内政も失態続きの菅政権。反菅を鮮明にする「小鳩」に戦略はあるのか――

 十一月二十五日、民主党元代表・小沢一郎に私淑する衆院一回生議員四十三人が国会内に集まった。これまでの「一新会倶楽部」という親睦的組織を本格的な政策集団「北辰会」に衣替えした初会合だ。当日欠席した者も含めると、参加者は五十三人。事実上の小沢派の旗揚げとも言える。近く政治団体として正式に届け出る。

 最高顧問となった小沢は挨拶で「最近の勉強会というと仮名交じりのネーミングが多いが、厳しい戦いを経て政権を獲得した筋金入りの皆さんらしい漢字だけの名前だ」と興奮ぎみに語った。北辰とは北極星のこと。小沢を天空で不動の北極星に見立て、その小沢を中心に無数の星が回るという意味だ。

 小沢は北辰会旗揚げ前にも、連日会合を重ねた。十六日から十九日までは四夜連続で、東京・赤坂の中華料理屋などで党所属の中堅・若手と酒宴を持った。四日間で小沢が酒を酌み交わした議員は、延べ百人近くに及ぶ。

「このままでは、皆討ち死にだ」

「いつ解散に追い込まれるか。やぶれかぶれ解散になるかもしれない」

「今、解散している時ではない」

 伝えられる肉声は、多少矛盾しているようにも聞こえる。だが、箝口令を敷かれることが多い小沢出席の会合で、発言が漏れてくるのは、小沢が意図的に仕掛けようとしていることの表れだ。

 小沢は今年六月に党幹事長を辞任して以来、自身の「政治とカネ」の問題で逆風に晒されてきた。今も野党から証人喚問要求を受けている。

 だが、九月以降、政権内で次々に問題が起きた。尖閣諸島周辺での中国漁船衝突事件。同事件のビデオ流出。法相だった柳田稔の国会軽視発言。そして北朝鮮による韓国への砲撃。その都度、政府や担当大臣の不手際が指摘され、国会でつるし上げられている。

 相対的に小沢の地位が上がってきた。「より下ができた」と表現した方が正確か。いずれにせよ政権が弱体化して解散風が吹き始めたことで「やはり選挙は小沢だ」という声が出るようになった。だから最近、機嫌がいい。

■幻のマニフェスト

 この小沢に前首相・鳩山由紀夫が歩調を合わせる。鳩山は菅に対する憎しみを募らせている。

 鳩山が「幻のマニフェスト」と呼ぶ冊子がある。鳩山は六月に首相を辞任するまで、七月の参院選に向けてマニフェストの準備を進めていた。内容が固まり、あとは六月四日に表紙の写真を撮影して完成の運びだった。が、その二日前の辞任表明で「幻」となった。タイトルは「もっと前へ進めたい。」。トレードマークの金色のネクタイ姿で疾走する鳩山の写真が表紙を飾る予定だった。

 後を継いだ菅は六月十七日に、マニフェストを発表した。鳩山の辞任表明後、わずか二週間だが、その間に内容はかなり変わった。表紙が菅の写真になったのは当然としても、タイトルは「元気な日本を復活させる。」に。総じて鳩山マニフェストが、自分たちの失敗を認めたうえで、今後改革を進めることに理解を求めているのに対し、菅のそれからは反省があまり感じ取れず、経済再生の決意が前面に出ている。鳩山マニフェストの支柱だった「友愛」「新しい公共」は菅マニフェストからほぼ消え、「消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」が加わった。参院選惨敗につながった一文だ。

 鳩山には「よくもこれだけ自分の主張を骨抜きにしてくれたものだ」という思いがある。マニフェストに関してだけではない。菅が、熱心に取り組む環太平洋経済連携協定(TPP)もそうだ。「国を開く」のはいいが、自分が掲げた「東アジア共同体」はどこへ行ったのか。鳩山の目には、TPPはしょせん米国追従のように映る。

 鳩山は菅が苦手な外交で、嫌がらせとも思えるような行動も取っている。十月末、菅はベトナムを訪問し、ベトナム首脳との会談で日本製の原子力発電所二基の建設で合意する運びになっていたが、鳩山はその数日前にハノイで科学技術相・ホアン・バン・フォンらと会談。売り込みの道筋をつけるパフォーマンスに出た。結果として、菅の手柄を横取りした印象を与えた。菅にとって面白い話ではない。

 鳩山は小沢の国会招致問題についても「小沢喚問は野党が要求しているのか。本当は与党の誰かが糸を引いているのではないか」と小沢の思いを代弁する。政局見通しも、十月末から「政府や執行部は補正予算に公明党が賛成し与党に一歩足を踏み入れるという幻想を抱いているようだが甘い。公明党は補正には反対するし、会期末には大臣の問責決議案にも賛成するだろう」と断言していた。小沢が持つ野党側の情報も入っていたのだろう。政府の読みと「小鳩」の読みのどちらが正確だったかは、後の流れを辿れば一目瞭然だ。

 十一月十日夜、その小沢と鳩山は、京都市内で京セラ名誉会長・稲盛和夫と会談を行った。

 会談の詳細は伝わって来ないが、小沢の理解者であり鳩山とも親しい稲盛との三者会談は、時に政局を動かすようなことが語られる。四月三日の三者会談では、首相だった鳩山が「私が辞めて新しい首相として参院選に臨んだ方がいいのだろうか」と弱音を吐き、二人が必死で止めていたことが、その後伝わった。今回の会談では「反菅」を最終確認したとの見方が広がっている。



■APECもう一つの失態

 一方、菅政権は劣化が止まらない。

 上昇気流に乗ることが期待された横浜開催のアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議でも、菅は議長としての存在感を示せなかった。十一月十三日に行われた中国の国家主席・胡錦濤との会談では、事務方が用意した資料を棒読みする姿を晒し、国民の失望を買った。

 日本のTPPへの参加問題が注目されたAPECだが、欧米諸国が日本の決断に期待するもう一つのテーマがあった。ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)への加盟だ。国際結婚して外国に住んでいた女性が、離婚して子どもを日本に連れ帰る例が少なからずあるが、これは「国家間の不法な児童連れ去り」として同条約で禁止されている。だが日本は同条約に加盟していない。主要八カ国(G8)で未加盟国は日本とロシアだけだ。欧米諸国は菅が前向きの方針を明言することを期待していた。

 米国では、日本人の元妻に子どもを「連れ去られた」元夫たちの訴えが社会問題化している。九月末には米下院が「元夫の承諾なく日本に連れ帰る行為は『拉致』だ」という決議を、ほぼ全会一致で採択し、大統領・オバマに突きつけた。中間選挙の敗北で議会対策に苦しむオバマにとって、菅がこの問題で踏み込んだ発言をしてくれれば、この上ない援護射撃だった。だが、菅は十三日のオバマとの首脳会談でこの話に触れなかった。そればかりか、翌日のカナダ首相・ハーパーとの会談では「母親がDV被害者である場合など、国内に慎重意見が多い」と発言して欧米諸国をがっかりさせた。

 菅政権が稚拙なのは外交だけでない。国会対応の拙さを示す象徴的な出来事が起きたのは、十五日、尖閣ビデオの扱いをめぐり、野党側が民主党に統一見解を求めて国会が混乱していた時だ。

 民主党の国対部屋に自民党国対委員長・逢沢一郎らが出向いた時、自民党側が封筒から文書を出し「こういう内容にしたらどうか」と示すと、民主党国対幹部たちは「なるほど。それでいいんですか」とつぶやき、それがベースとなって民主党の統一見解ができた。そして国会は正常化した。野党が与党に助け舟を出す国会。自民党が与党ボケしているともいえるが、民主党は与党としての最低限の訓練もできていない。

 このような状況下、面倒な判断は官房長官・仙谷由人のもとにどんどん滞留する。それでも新しい仕事を背負おうとする性癖が仙谷にはある。例えば、現在休眠中の党シンクタンクを再開させて近代史の研究を行おうという話が党幹部の間で起きた。仙谷がすかさず「じゃあ、それは俺がやろう」と言いだし、周囲があわてて「それは長官の仕事ではないでしょう」と止めた。

 仙谷の秘書官は一時、計十二人まで膨れあがった。菅の秘書官が六人だから、二倍になる。官房長官を首相の女房役とすれば、完全なかかあ天下だ。

 菅も、もとはといえば「俺が俺が」というタイプ。女房役がしゃしゃり出ることは心地よくない。ただ、ここで夫婦げんかを始めるわけにはいかない。二人の共通の敵は、自分たちに牙を剥き始めた「小鳩」なのだ。

 二十四日夜、菅と仙谷は東京・東麻布の中国料理店・富麗華で夕食を取った。菅政権が誕生してから約半年、初めての「二人だけの外食」だった。二人の不仲が囁かれ始めたのを打ち消すためのパフォーマンスだったのか。

 翌日夜、紀尾井町のホテルニューオータニでは仙谷が会長を務める凌雲会の会合が開かれた。ゲスト・スピーカーは仙谷が東大生の時からの盟友で内閣官房参与の松本健一。松本は近代思想史の話をする中で「デモクラシーの訳語は、最初は『下克上』だった」と紹介した。政権の中枢にいながら、どん底からの巻き返しを図ろうという仙谷には示唆に富んだスピーチだった。

 公明党の接近が当面期待できない今、菅が秋波を送るのは与党では国民新党代表の亀井静香。野党では、たちあがれ日本共同代表の与謝野馨だ。

 菅は十八日夜、与謝野を首相公邸に招き意見を聞いた。与謝野は菅が野党と個別に党首会談を行うことを提案。野党の政権へのスタンスの違いを浮き彫りにさせて与党の枠組みを再編するのが与謝野の狙いだ。たちあがれの与党入りも念頭に置いていることは推して知るべしだ。

 与謝野の進言を受けた菅は二十四日、野党党首と会談することにしたが、その前に亀井と会った。菅は、人脈の広い亀井に、連立を離脱した社民党を含めた野党への働き掛けを期待している。

 その亀井は十一月下旬、赤坂にある行きつけの料亭で、自身が自民党時代領袖を務めた派閥・志帥会の元同志と酒宴をもった。この席で亀井は「今のままでは大変なことになる」と強い危機感を示した。メンバーの古屋圭司や衛藤晟一は自民党、小林興起は民主党。この他にも志帥会の元メンバーにはたちあがれ日本代表・平沼赳夫らがいる。今はバラバラだが「保守」を軸に再結集すれば、看過できない勢力になる。

 百戦錬磨の亀井のこと。菅の期待通り現政権維持で動き続ける保証はない。小沢につくか、それとも野党・自民党に近づくか。目が離せない存在であることは間違いない。

 菅は二十七日昼、鳩山と会食し、友人の助言を引用する形で「内閣支持率が一%になっても辞めない」と協力を懇請した。今の力関係では鳩山の方が優位に立っているように見える。だが「小鳩」の方も不安定だ。

 時は遡るが、十一月五日、小沢は親しい中堅・若手議員と中華料理屋で酒を飲んだ。小沢の元秘書の環境政務官・樋高剛らがセットした会合で、農水政務官・松木謙公らが参加した。政府入りした議員から現状報告を受け、小沢が自分の体験談や人脈を語るという会だった。

 だが後日、この会合から外れた議員から横やりが入った。政府入りした人間が先に「大将」と酒を飲み、政府入りできなかった人間は宴席も外されたというやっかみの声があがったのだ。小沢グループの重鎮・奥村展三はこうした声を樋高に伝え、「こけにされたと思っている者もいる」と毒づいた。小沢や鳩山の側近の中でも、勝ち組と負け組の格差が生まれ、風通しが悪くなっているのだ。

 小沢は来年早々にも、政治資金規正法違反で起訴され、当分は刑事被告人としての日が続く。その間、代表選で確保した「二百人」の目減りをどの程度に食い止めることができるか。そして目指す政局シナリオは倒閣か、政界再編か。倒閣ならポスト菅の候補は誰か。政界再編なら最大野党・自民党内にどう楔(くさび)を打ち込むか。いずれも絵は描き切れていない。

 二〇一〇年も年の瀬を迎えた。二〇一一年の政局を占うのは元旦、東京・深沢の小沢邸で開かれる新年会だ。一〇年の元旦は、副総理だった菅も含め百六十六人の党所属国会議員が集まった。数と質で前年を上回れば小沢健在をアピールすることになる。小沢の師・田中角栄も元旦、目白の自宅に集まる田中軍団や官僚の顔触れをみて、その年の政局シナリオを練っていたという。 (文中敬称略)