菅は首相としてあまりにも無能だった 無能で権力亡者の菅は交代が当然
(日刊ゲンダイ2010/8/30)

待望の小沢一郎に総理をやらせて激変するこの国を見てみたいという庶民の声が高まっている

――「円高」をはじめ押し寄せる難題に対する総理大臣としての仕事振りに国民はアキレ、小沢一郎も傍観していては国は滅びると思い詰めて出馬した
――このまま菅首相の民主党政権が続いたら経済・外交・内政はニッチもサッチも行かなくなっていた
いまごろになって7月の絵日記を書き始める小学生のようだ。先週金曜日、菅首相が円高・株安に「断固たる措置をとる」との談話を発表した。今月12日に円が84円台まで急伸したときは「動きが急すぎる」と評論家のような感想を漏らし、23日の白川日銀総裁との電話会談は中身ゼロ。どれだけ市場関係者や企業経営者が悲鳴を上げようが知らぬふりで、効果的なメッセージは一切発信しなかった。そんな経済オンチが、突然、アタフタと動き出したのだ。
理由はひとつしかない。小沢前幹事長の代表選出馬表明で尻に火がついたのだ。経済危機は我関せずでも、首相の座が危うくなると目の色を変える。1回生との懇談でも、「代表選で当選したら命を懸ける覚悟だ」と大慌てで宣言した。
1日2回の“ぶら下がり”を拒み、毎朝官邸で記者に「おはようございます」と呼びかけられてもむっつり。そんな記者泣かせがウソのように、“小沢表明後”は町工場からラーメン屋まで取材陣を連れ回し、パフォーマンスの大サービスである。自らが追い込まれないと何もしない。動く動機は延命のため。そんな権力亡者が、総理大臣にふさわしいだろうか。
答えは、もちろん「ノー」だ。同志社大教授の浜矩子氏(国際経済学)もこう言う。
「市民運動家出身の菅首相は、闘争家としての力はあるのかもしれませんが、猛烈に批判されてからでないと対策を打てない勘の悪さは想像を絶します。地道に政策や行政を回すことに適性がないのでしょう。野党時代は自民党の政策を批判し、反対するというハッキリとした目標がありました。薬害エイズの問題も、テーマや闘うべき相手がいた。しかし、受け身は上手でも、能動的に振る舞えないのです。こんなタイプは、融通無碍(むげ)な生き物である経済を調節し、緩急自在にコントロールするのが苦手。対策を打つときは、360度の視野から、ああでもない、こうでもない、でもやはりこうだろうと理詰めで考える必要があるのに、菅首相には30度の視野しかない感じです。政策責任者としての資質が決定的に欠けているように思えてなりません」

◆財政を理由に再分配否定の菅は自民党と同じ
確かに、日本が単独で為替介入したところで、効果はたかが知れている。金融緩和も、米国が利下げすれば、有効打とならない。この円高・ドル安は小手先で止められるような代物ではないのだ。
しかし、目の前で血を流している人がいれば、素人でもやれることをやろうとする。たとえ病気の原因が別にあったとしても、止血はしなければ死んでしまう。ところが菅は、最初は放置しておきながら、責任を問われそうになると大急ぎで傷口を縫い始めた。そんな“ヤブ医者”に、治せる病気などない。
無能ぶりは円高対策にとどまらない。鳩山前首相が合意した8月末までの普天間代替施設の工法決定は、11月の沖縄知事選後に先送り。政権交代の原動力となった衆院選マニフェストは、「財源がない」という財務官僚に押し込まれて消滅寸前だ。「財政至上主義」で子ども手当も戸別所得補償もやめるのなら、再分配を「社会主義」と否定して弱者を切り捨てる自民党政治と同じ。民主党が政権を担当する意味はない。
それが分からない菅政権が続けば、経済も外交も内政も、グチャグチャになるのは明らかである。

◆官僚依存の民主党政権は2年後の代表選まで持たない
小沢は迷った末に出馬を決めた。ほとんどすべてのマスコミを敵に回し、強烈なバッシングを浴び続ける現実が待ち受けていても、矢面に立つ決心を固めたのだ。権力が欲しくて首相になりたがるのとはワケが違う。
評論家の塩田潮氏が言う。
「小沢氏がマスコミや野党に叩かれるのを承知の上で出馬を決意したのは、2つの理由だと思います。ひとつは菅首相に対する大いなる失望です。菅首相は鳩山時代から、国家戦略相として、財務相として、経済財政政策で何もできなかった。しなかった。それでも総理になれば責任が出るからやるだろうと小沢氏は見ていた。しかし、やろうとしたのは消費税増税やマニフェストの縮小だけで、民主党らしい政治ができていない。このままでは官僚依存がどんどん強まってしまう。本来の民主党政治を早く実現しないと、また政権を自民党に奪われてしまう。これが2つ目の理由で、『もう時間がない』という思いにさせられたのです。2年後の代表選に照準を合わせるシナリオもあり得たが、そこまで待ったら、菅政権の大失敗で民主党政権は残っていないと考えたのでしょう」 菅が明治以来の官僚政治をぶち壊して国民の手に政治を取り戻そうと奮闘していたのなら、小沢も静かにしていただろう。
表舞台に立つ必要もなかったが、それではダメだと思い詰めて腹をくくった。傍観していては国が滅びると出馬の覚悟をしたのである。
それだけ首相としての菅は酷いということだ。見てはいられないレベルなのだ。

◆闇を暴き秩序を壊す小沢を大マスコミは恐れている
ところが、そんなダメ菅を大マスコミは応援している。「まだ3カ月しかたっていない」「1年に3人目の首相交代はダメ」と援護射撃に余念がない。寄ってたかって経済無策をこき下ろしたくせに、菅と小沢の一騎打ちになった途端、批判の矛先を小沢に向けて、「あいた口がふさがらない」(朝日27日朝刊社説)、「大義欠く小沢氏の出馬」(毎日27日朝刊社説)と総攻撃である。
批判材料になる世論調査も、当然のように実施した。「どっちが首相にふさわしいか」と聞き、「菅氏78%・小沢氏17%」(毎日)、「菅氏67%・小沢氏14%」(読売)と結果をうれしそうに報じている。「1日の政治空白も許さない」と声高に叫びながら、菅政権による「いつ終わるともしれない政治空白」は大歓迎というのだから理解に苦しむ。
筑波大名誉教授の小林弥六氏(経済学)が言う。
「小沢前幹事長は『政治主導が大事』『原点に戻ろう』と言っています。守旧派である大マスコミや官僚機構は、この政治主導が困る。自分たちがつくってきた秩序が壊され、闇の部分が暴かれることは絶対に避けたいから、必死に妨害しているのです。しかし、守旧派の既得権益と横暴を潰さない限り、この国は何も変わりません。政治力と実行力を持つ小沢氏が、再び“政治主導”を掲げて登場したことに、喝采している人は多いはずです。民主党議員と党員は、マスコミが振りまく身勝手な雑音に惑わされないことが大事です」
大新聞とテレビは官僚と協力し、秩序=利権を守る自民党政治に復活して欲しいだけだ。そんな野望を壊せる政治家は、小沢しかいないのである。