野党共闘を壊した参院自民の泥仕合  (フォーサイト 2010年8月9日)

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 7月11日の参院選は民主党の惨敗に終わった。マスコミは、参院で多数を占める野党が攻勢を仕掛け、菅政権は早晩窮地に追い込まれるとの観測記事を連日書いている。ところが、その野党内では、早くも足並みの乱れが見え始めた。与野党対決の第1ラウンドともいえる参院議長人事をめぐる駆け引きで、野党共闘が空中分解したのだ。
 衆参両院の議長は比較第1党から選ばれるのが慣例で、ルール通りなら民主党が議長を取ることになる。しかし例外もある。例えば1993年、細川護熙氏を首班とする非自民連立政権が誕生した時は、第2党の社会党委員長だった土井たか子氏が議長に就いた。その前例を盾にとって徹底的に与党と争えば、野党が「数の力」で議長ポストを取るのも可能だった。
 参院選直後は、議席を大幅に伸ばした自民党、みんなの党を中心に、主戦論が優勢だった。自民党が議長を取る場合、議長候補は参院議員会長だった尾辻秀久氏か参院幹事長だった谷川秀善氏が有力となる。
 だが、意外にもこの2人は議長就任に前向きではなかった。議長になれば、与党側から「慣例破り」と非難される。公平な議会運営をしようとすれば、野党側から「どちらの味方なのか」と突き上げをくらうのも目に見えている。野党が議長を取るのは憲政史上、画期的なことではあるが、2人には「割の合わない」仕事と映ったようだ。さらに公明党が「自民党議長」に慎重だったことも自民党幹部の動きを鈍らせた。途中、自民党からは公明党の長老・草川昭三氏を議長候補に推す奇手も浮上したが公明党側から反応はなかった。
 みんなの党の渡辺喜美代表らは、自民党幹部が本気で議長ポストを取る気がないことを見透かしていたが、それでも「野党で議長を」と主張し続けた。議長を取れれば「みんなの党主導で実現した」とアピールできるし、仮に取れなくても「自民党が腰砕けになった」と責任転嫁すればいいと判断したのだ。
 自民党側も当然、みんなの党のスタンドプレーを察知。両者間にはすき間風が吹いた。


ガセネタも入り乱れ……

 混乱に拍車をかけたのが自民党内の権力闘争だ。7月14日、一部の新聞で「参院副議長に谷川氏、参院会長には林芳正氏」と報じられた。副議長を自民党が取るということは、議長を民主党に譲ることを意味する。少なくとも表向きは議長確保で動いていた時期である。自民党にとって、あってはならない報道だった。執行部は必死に“犯人捜し”に走り「尾辻、谷川の両長老を棚上げし、世代交代を狙う鈴木政二氏がリークした」などの情報が流れた。だが、鈴木氏1人のせいにするのは酷だろう。この日以降、ほぼ毎日、新聞には参院の主要ポストについての人事情報が載った。大部分は、自民党の参院議員たちが、希望的観測でリークしたものだった。
 そもそも参院自民党は、かつて村上正邦氏、青木幹雄氏らが牛耳っていた頃と違い、幹部たちは小粒だ。尾辻、谷川、林、鈴木の4氏に加え、中曽根弘文氏、溝手顕正氏、山崎正昭氏らは、それなりに政治経験を積んではいるが、ねじれ国会の司令塔になるには荷が重い。
 そこに森喜朗元首相、古賀誠元幹事長、額賀福志郎元財務相ら衆院側の幹部も、表面上は「参院の人事は参院に一任する」と言いながら、自らの影響力を誇示するかのように介入してきた。最終局面では、脳梗塞で政界引退した青木幹雄氏の「意思」や「指示」も飛び交い、どれが真実でどれがガセネタか当事者たちも分からなくなっていった。
 党利党略どころか、個利個略むき出しのせめぎ合いで野党共闘が崩れたことは、民主党側にも伝わる。結局、議長の椅子はあっさり民主党・西岡武夫氏のものになり、ねじれ国会での与野党バトル第1ラウンドは与党の勝利に終わる。
 副議長には尾辻氏が就任。自民党の参院会長は谷川氏の方向だが、密室長老支配は好ましくないと訴える山本一太氏ら中堅・若手に担がれる形で中曽根氏が出馬表明。党内抗争の余震は続く。最終決着は会長選が行なわれる8月11日まで持ち越された。
 一連の騒動は「菅直人首相vs.小沢一郎前幹事長支持グループ」という民主党内の政局に国民の目が行っている中、あまり注目されなかった。だが、昨年下野して以来、党内抗争を自重してきた自民党が、参院選の勝利を機に、お家芸の封印を解きつつあるのは事実のようだ。
 
 
筆者/ジャーナリスト・野々山英一 Nonoyama Eiichi