いきなり“けつまずく”菅首相、トップになって何をしたいのか

(Business Media 誠 2010年06月21日18時14分) http://bit.ly/9VMMdD


 ある政治家にとって一国のリーダーになるのが夢であるのならば、その政治家にとって必要なのは一国のリーダーになる覚悟である。

 その意味で言うと、このところ、その覚悟にお目にかかったことがない。小泉首相は良くも悪くも覚悟があったと思う。「郵政民営化」という首相の持論をどうしても実現するという意思は固かった。

 実際、2005年に参議院で郵政民営化法案が否決されたとき、「死んでも民営化をする」として、衆議院を解散し、総選挙に突き進んだ。国民がそれに圧倒的な支持を与えたのは、ある意味で当然のことである。小泉内閣が誕生した2001年、バブルが弾けて10年以上たっているのに、日本経済の先行きは不透明なまま。閉塞感ばかりが過剰な中で、小泉首相のようにマスコミを上手に利用して、メッセージを発信できるリーダーが登場すれば、国民は期待する。

 小泉首相のマスコミ操作術ばかりに目を向けるのは正しくない。郵政民営化と自民党をぶっ壊すとした首相の覚悟にも目を向ける必要がある。

 鳩山首相の失敗はどこに原因があったのか。まずは首相自身の「思い」が抽象的であったこと。米軍基地移設問題で具体的に言った「最低でも県外」という言葉は、何の成算もなく言われたことが後で判明する。外交においては「対等な日米関係」という言葉もあった。しかしそれが何を意味するのか、具体的な外交の舞台で何を切り札に米国と渡り合うというのか、さっぱり分からなかった。「トラスト・ミー」と言って、国内をまとめきれない様子は、米国から見ればこっけいであったかもしれない(もっとも米国は鳩山政権の素人ぶりを笑ってばかりもいられなかったはずだ。アジア安定の要である沖縄を米軍が自由に使えるかどうかは死活的に重要だからである)。


●腰砕けの説明をした菅首相

 さて鳩山首相が退陣して菅首相が登場した。前首相と違って、市民運動出身で地に足のついた政治家ともされ、また歯に衣を着せぬ物言いも、時には脱線があるとしても一定の人気があったと思う。安倍さんや福田さん、麻生さん、鳩山さんと首相を輩出した華麗なる一族というわけでもなく、その意味でも国民の支持率がV字回復したのは理解できる。

 しかし、そういった目で新首相を見るとき、おやっと思うところがある。まずは、就任直後の国会運営である。新しい国のリーダーになったのに、所信表明や代表質問こそやったものの会期を延長することなく、選挙戦になだれ込んでしまった。参院民主党が選挙を焦ったからだったようだが、支持率が高いうちに選挙をしようという意図が見え見えになってしまった。国民目線から言えば、理解の得にくい行動である。

 そしてもう1つ。民主党マニフェストの発表で、消費税について触れたときである。「自民党の出した10%という数字を参考にしたい」と菅首相は語った。もちろん税制について超党派で議論したいと言ったのだから、自民党の提案に乗ることを一概に否定するつもりはないが、まだ超党派で議論できるかどうか決まったわけではない。ここは民主党としての考え方を出すところであり、「自民党案を参考にする」というような腰砕けの説明をすべきところではない。国民は、それぞれの政党の考え方などを聞いて、ここでそれなりに審判を下そうとしているときに、自民党案に「抱きついて」しまうのは何とも情けない。

 増税もみんなでやれば怖くないということなのだろうか。しかし、これは政権党の姿ではあるまい。しかも民主党は増税を切り出す前にもっとやることがあるはずだ。政権を取る前は、無駄を削減すれば20兆円ぐらい捻出するのは簡単なことであり、社会保障の充実も予算の組み替えでできると言っていたからである。鳴り物入りの事業仕分けも結局のところ数兆円の財源を生み出すのが精一杯。とても20兆円というような数字は出てきそうにない。

こういったことについてどのように考えるのか、という「総括」を抜きにして消費税論議になだれ込まれるのは、いかに増税に理解のある有権者としても、ちょっと待ってほしいという気分になるのではないだろうか。


●総理になって何をするのか

 総理大臣になりたかったという菅首相。しかしこの難しい時期に総理になったということは、総理になって何をするのか、この日本をどうしたいのか、という理念こそが重要であるということでもある。なぜなら今の日本は、自分たちの将来像を見失って、ずるずると後退していくという悪夢にさいなまれているからである。もしGDP(国内総生産)ばかりが幸せの指標ではないというのであれば、それに代わる新しい価値観を国民に提示しなければならない。「強い○○」というのは具体的なようで、そこにいたる道筋が示されなければ、国民は納得のしようがないのである。

 ただただミスをせず、権力の座にしがみつくようであれば、菅内閣もまた短命に終わる可能性が十分にある。