私は日本で生まれ、幼い頃にオーストラリアに移住しました。異文化の中で育ったことは、私にとって大きな財産となっています。母国語、習慣、価値観の違いは、時に困難をもたらすこともありましたが、これらの経験全てが、人々を理解する基盤を築く上で役立っています。看護師になることを選んだ時、「国や言語に関わらず、人は人である」という揺るぎない信念を持っていました。
現在、私はオーストラリア医師会の旅行看護師として働いています。世界中を旅し、仕事をする中で、私の役割は医療提供者としての枠を超え、患者の付き添いや、若い看護師の指導といった役割も担っています。そして今、日本に戻り、戦後の歴史を背負う退役軍人のケアと、次世代の看護学生の指導に携わっています。これが「過去と未来の架け橋」としての私の使命だと心から信じています。
学ぶことは謙虚な気持ちにさせてくれます。
退役軍人から学ぶことは数多くあります。彼らの戦時中の経験と、その後の苦難は、医学書や教科書には決して記されていない「生きた知識」を提供してくれます。痛みがある一方で、強さ、誇り、そして生き抜く意志も存在します。彼らの声を聞くたびに、まだまだ学ぶべきことがたくさんあることを改めて実感します。
同僚や学生との交流からも多くのことを学びます。若い看護師たちの目に宿る純粋な好奇心、そして他者を助けたいという情熱は、私の初心を思い出させてくれます。学びは、年齢や立場に関わらず、流れ続ける川のようなものだと信じています。
教えることは未来への贈り物です。
私は日々、看護学生たちに技術と知識を伝えています。しかし、本当に伝えたいのは、思いやり、忍耐、そして誠実さです。看護の世界では、技術や判断力よりも、人間性が試される時があります。どんなに技術が完璧でも、患者さんの心と繋がることができなければ、看護は半分しか完成していません。
学生が患者さんに微笑みかけ、自分の言葉で伝えようと努力する姿を見る時、私は深い喜びを感じます。それはまるで、種を蒔き、水をやり、芽を出し、花を咲かせるのを見守るようなものです。教えることは、一方通行の与える行為であるだけでなく、自分自身を成長させる活動でもあります。
学びと教えることは循環的です。
学びと教えることは決して一方通行ではなく、互いに共鳴し合う循環です。私は患者や同僚から学び、学んだことを学生に伝えます。そして、私の学生たちは未来の世代を導いていきます。このようにして、看護は「ケアの遺産」として世代から世代へと受け継がれていくのです。
孔子はかつて「思慮なき学びは無意味、思慮なき学びは危険」と言いました。つまり、思慮なき学びは空虚で危険なのです。この教えこそが看護の真髄です。私たちは現場で学んだことを深く振り返り、それをどのように未来に活かすかを考えなければなりません。この繰り返しこそが、私たちを看護師として成長させてくれるのです。
終わりなき献身
学びと教えることへの献身。それは終わりのない旅です。患者から学び、それを若い世代に伝え、そしてまた新しい世代へと伝えていくのです。看護師としての私の人生は、この循環の中で輝いています。
私は日本で生まれ、オーストラリアで育ち、そして今は日本で働いています。文化も言語も環境も違っても、私たちの使命は変わりません。「人々の命と心に寄り添う」。この普遍的な価値を守り、次世代に繋げていくために、私たちはこれからも精一杯努力していきます。