憲法問題を軸に、「研修」外国人や森友学園、慰安婦、更には「日本人」のルーツなどをテーマに語ってきた積もりである。ただ述べても述べても足りない問題でもある。新たな追記や補足が、また新たなソレを生むのである。
このアメーバブログに入ると様々なポップアップ広告が入る。これらはユーザーの履歴等から最適化された媒体が入るようだが、ここの所「戦後史観の誤り」に関する講演録と、そこに誘導する幕末期の知られざる史実やハル・ノートの嘘などといった内容が多い。これは恐らくアメーバのスポンサーのように見受けられるが、他のみなさんの場合はどうなんだろうね?コノ手の情報から受ける私の感想だけど、それは一部にはなる程と受け止める点があるものの、それを足掛かりにして全てがそうだとは到底言い難いことである。というか、一部の共感や同意を足掛かりに、他のトンデモ史観を植え付けようとする手管であるように思えてならない(笑)
上記の事を憲法に当てはめると、私も条文すべてを金科玉条の如く奉れば良いとは思わない。寧ろ発布後70年を経て、その時代の推移により当時は定め得なかった内容などは積極的に加えたほうが良いとも思う。但し前文と9条に関しては、先に書いたように譲れないでいる。自民党案でも前文と9条以外なら賛成に吝かではないが、彼らはセットにして押し切ろうとしているのだろうか?だったら反対するしかないのである。そういう姑息なことを行う連中なら、ひとたび軍を明記し、さらには緊急事項などという例外規定を設ければ、一体何が起こっても不思議ではない。現憲法下であっても超法規的措置が行い得ることは、過去のダッカのハイジャック事件のような例も残っているのである。
いっぽう、森友学園はその知り得た内容をあからさまに言えば教育勅語を暗唱したりする「小国民」を育てる学校であったみたいだ。以前はその奥方様と安倍総理も大いに応援されていたようだ。また自民党の憲法改正案の端々にはそれに似た本音も見え隠れする。それでも尚、なぜ森友学園にエールを送るのか?収監され暖房もない獄舎で身体的にも弱ってられるという籠池さんを是非、以前から応援していた、多分お金持ちであろう「文化人」の方々や、ネット上では一大勢力となっている或るカテゴリーの皆さま方には、是非彼とその学校を救ってあげて欲しいのである。真面目な話、行かせたい親だっているのだし、総理だってお気に入りだったのだから。ちょっと都合が悪くなったから、潮が引くように離れるばかりか、本人ともども抹殺はないだろう。桜マークの文化人の方やナチスもどきの軍服愛好家の諸氏へ、こういう安部自民党の目指す美しい国の姿を形にする施設のひとつ位、実際に有った方がわかり易いのではないだろうか?
また以前にはアパホテルを持ち上げる記事も書いた(記憶がある) 先に書いた趣旨に近い本を部屋に置くという、ホテルという客商売では難しい決断である。もちろん、それを応援して来られるお客様もいるだろう。私企業が特定の考えを冊子にして配るのは、良くホテルの部屋に持ち帰り自由?の「聖書」が置いてあるのと同じである。また私とて隣国の言うこと、することにはやや行き過ぎの面もあることは認めるのだ。そしてそれ以上にアンフェアな行いでもある。例えば、何処かのカルテルが今でもコカインを米国に売っているように、英国は19世紀末、インドのアヘンを中国に売り、それを阻止しようとした中国(清)に喧嘩を売って従属させた。このアヘン戦争が後の列強支配に繋がった。中国は一体これを英国に抗議して、英国から謝罪して貰っただろうか? 同じくフィリピンでも19世紀末、米国は米西戦争で負けたスペインと密約を交わし、その第一次独立政府を潰し、当時の国民の5%程*もの人々を殺害した。ベトナムでの戦略村や焦土作戦の雛形となった戦いであった。また大日本帝国は、アジア諸国やその国民に様々な戦争加害を与えたのは事実である。また戦争のドサクサに、個人の犯罪的行為も無かったハズはない。ただ当時の帝国主義諸国はそれが普通だったともいえる。当時の英国の議員はアヘンの輸出を自由貿易と言っていたそうだ。ただ、当時は医学的療法等に使われていた事実はあったが、明らかにそれを逸脱した使われ方をしていたのは当時の阿片窟の画像や写真として今も残る。まあそんな訳でアパホテルの肩も持っている次第である。
*当時の総人口が約800万人と言われており、殺害されたフィリピン人は約40万人(約5%)に及ぶようだ。なお、大日本帝国占領時は総人口約3000万人で、やはり殺害されたのは同じく40万人くらい(約1.3%)だったようである。但しマニラ市街戦など、米軍の無差別砲爆撃による死者も相当数含まれるだろう。なので、フィリピンの第一次独立戦争(革命)時のフィリピン人の犠牲は想像を絶する!**
**だから昔米国はもっと悪いことをしたのだから、我が国が昔行ったのは悪いことではない。大東亜の大義のために戦ったのだ・・という論理がまかり通るとは思えない。これは現地当事者に成り代わってでも、申し上げておきたい。