asuka3315のブログ

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毎年、夏場は色々、起こる。
昨年は本当に人間不信に陥る寸前…
だから、人の断捨離を敢行して
とても楽になった。

今年こそ、
心穏やかにお盆を迎えられる。
それが見事に裏切られた…

8月1日に不在配達
8月2日に遺産相続通告書
8月16日に遺産目録

これでもかって感じで…
心穏やかにとはいかない

昨年ほど、荒れてはいないけれど
今年は気持ちにダメージが大きい。

亡くなった父は…
どう観ているのだろう?

第二次世界大戦を経験し、
少年兵として予科練に入隊し、
特攻兵として任命された。
もし、終戦が遅れれば
生きてはいなかったと。

私が鮮明に覚えているのは、
父が命の危険が有る事故に何度か遭い、
手術をしても後遺症が残る…
そう言われていたが、見事に復活する父。
先に逝った戦友の御霊を
何とか鎮めたいと長年、慰霊祭を
続けていたからだろうか、
亡くなられた戦友方が守ってくれた…
そんな風に私は感じていた。

そんな父が自分の死んだ後の処理を
出来なかった事が非常に残念でも有る。

毎年、終戦記念日が近付くと
TVで戦争の特集が組まれるが、
今年は全く知られていなかった事実が
色々と明らかになった。

被害者で有る人達が重い口を開き、
赤裸々に事実を語り始めたからだ。

満州開拓団でのソ連軍から
生き延びる為に差し出した若い女性達。
理不尽な理由で純潔を奪われ、
開拓団を守ったと言うのに、
戦後、生き延びて帰国した彼女達には
侮蔑という中で生きる事となった。

樺太と呼ばれた地で移住した人達が、
終戦が終わった後にソ連軍と
戦わされた事。
然も、武器は竹槍のみ。

史上最大の最悪な戦線と呼ばれた
インパール作戦。
どう考えても無理な作戦を敢行した。
兵士達の命の重さなど
全く考えない非道な戦いをさせた。
インパール作戦での戦死者の多くは、
戦死より飢餓・赤痢などの病死・自決。
そして…
生き残った元兵士達が語るのは、
1人で居る兵士を殺し、物を奪い、
その兵士の肉を売り生き延び様とした
他の兵士隊の蛮行を語る。
人が人では無くなった戦争の中でも
一番、悲惨な作戦だった。

それでも…
戦争を指揮した軍部の責任者達は、
自らの過ちを認める事無く、
正当化し続けた。

中でもインパール作戦を考え、
現場で指揮した軍部の責任者は、
戦後、自己の責任を持つ事も
後悔する事も無く…
尚且、遺影を撮る際には、
軍から授与された勲章を
全て付け軍服で遺影を撮った。

その神経は到底、理解出来ない。
自分の考えた愚かな作戦で3万人もの
死者を出した事も彼に取っては
正しいと言い切れる…

戦争を起こしたのは軍部の一部の人間。
そして…犠牲になった多くの人達は
民間人・兵士でも底辺の人間。

軍部でも力の有る者達は、
戦場に出る事も無く、人を人とも思わず
数だけを数える様な作戦を立てる。
『何千人死ねば敵地を取れるか?』
それは敵の人数では無く、
日本兵士の数だったのだ。

インパール作戦の中心人物だった
彼の孫が今回、初めて遺品を見せた。
彼の息子はアンチ戦争派だったと言う。
そして、彼の遺品を検証して欲しいと。
『祖父の遺品を捨ててしまいたかった父
    それでも捨てなかったのは、
    見たくは無くても捨ててはいけない。
    そう思ったからでは無いか…』

生き残った兵士達も口々に
戦争の悲惨さと後悔を語る。
戦争責任者達の家族達の苦悩も
並大抵では無かっただろう。

もう、こんな愚かな戦争は
絶対にしてはいけない。