復活
キャンディーズの田中好子さんが乳ガンで亡くなり足跡や葬儀の報道がされるなか、50代60代のファンの方の姿も目にしました。自分もリアルタイムではキャンディーズは見て無いので、ファンとしての悲しみというより若い死に衝撃と悲しみを抱きました。そんな報道の中、何故ここまでキャンディーズは熱狂的に愛され続けているのか、というコラムに、ただの一度も再結成、復活が行われ無かったからだと書かれていました。確かにその後のピンクレディーやおニャン子クラブらとは比べものにならぬ程熱狂的な思いを抱かせ続けたキャンディーズ。その理由が後の再結成が一切無かった事にあるとしたならば、山口百恵の伝説にも通じるものがあるのかもしれない・・
そう考えたならそのちんの復活コンサートを信じている自分は何なのだろうか。もしかしたら行われ無い事を分かっていて、言っているのかもしれないと思う自分がいる。確かにもう一度そのちんの楽曲が生で聴きたい、その時が来る事を信じていたらこの20年あっという間だった。彼女無し、友達無しの人生、一応頑張って生きてこれたのもこの思いがあったからかもしれない。これからももう一度そのちんの歌声が聴ける日が来る事信じて頑張ってみようと思います。あと10年も生きられない自分だから
そう考えたならそのちんの復活コンサートを信じている自分は何なのだろうか。もしかしたら行われ無い事を分かっていて、言っているのかもしれないと思う自分がいる。確かにもう一度そのちんの楽曲が生で聴きたい、その時が来る事を信じていたらこの20年あっという間だった。彼女無し、友達無しの人生、一応頑張って生きてこれたのもこの思いがあったからかもしれない。これからももう一度そのちんの歌声が聴ける日が来る事信じて頑張ってみようと思います。あと10年も生きられない自分だから
やっと
なんとか、あの地震前に戻りつつある日常。だが完全に戻る事は不可能かも・・自分の住んでいる土地は内陸部で海へは80キロくらいのところ。震度5強の揺れに築35年の家も耐えてくれた。だが何か、狂った。計画停電の影響で会社のシフトが乱れ、電車の間引き運転の影響で遠距離バイトも控えた地震後一ヶ月。気付けば当初予定していた、大阪、京都行きも全て立ち消え。もう5月目前の今。自分は震災の被害などほとんど無いのだから普通に生活し、過ごしてたいけど、何か行動が起こせない。義援金と呼べる程のお金を出せる訳でも無く、ボランティアに出かける行動力も無い。今年の正月に出掛けた仙台が大きなダメージを負った事を知っても、昔勤めていた会社の関連会社が甚大な被害を受けた事を知ってもその記事を見ているだけ。頑張ろうなんて自分がとても言える立場に無い。
自分に何が出来るのか、問い掛けても何も無い。そんな事実を思い知ったこの一月。
あとどれくらい自分は生きられるのか・・では無く生かさせてもらえるのか。もう少し考え、見つめ直さなければいけない事沢山です
自分に何が出来るのか、問い掛けても何も無い。そんな事実を思い知ったこの一月。
あとどれくらい自分は生きられるのか・・では無く生かさせてもらえるのか。もう少し考え、見つめ直さなければいけない事沢山です
その時
もしかして、私が誰か分かっていて、私を通じ有る方の安否、状態を知りたい方のためにその時の事をお話します。
その瞬間、新宿歌舞伎町の地下にいた私達はあまりの揺れの激しさに、音楽を止め、地上に出る指示を受けました。地上にでても止まらぬ揺れ、一斉にカラスや鳥達が飛びたっていたのが印象的でした。目の前の区役所など高いビルでは次々に人が出てきて、至るところから非常ベルがなり、エレベーターが停まったと叫ぶ人達。揺れ続けているなか、テレビの速報を聞いた人が叫ぶ。「震源地は三陸沖、震度七以上」正直驚いた。新宿でこれだけ揺れたのだから震源地の近くだったら・・自分の住まいは新宿よりずっと東北寄りだ。家族にメールしたが返信は無い。電話も至るところにかけたが繋がらない。
薄着で飛び出した彼女達も余震の合間に着替え、約一時間後には開催中止、閉店ガラガラ。怪我人は出ませんでしたが、ここからが長い戦いになります。電車が動かないと発覚。たまたま車で来ていた自分はまず、新宿を脱出へ。首都高は閉鎖。信じられない渋滞のなか、新宿から西に9キロ進むのに2時間半。ここから高速使わずに100キロ一般道帰るのはどれくらい掛かるか不安だったが、少しでも道が空くのを期待し、日付が変わってから出発。渋滞の連続。東京抜けるのに4時間弱。自宅に着いたのは6時過ぎ。でも自宅は無事。
地元は東京以上の震度、会社の工場には至るところに爪痕が。
これから大 変な事が多いと思います。逃げずに対処して行きます。新宿には今週は行けないな・・
その瞬間、新宿歌舞伎町の地下にいた私達はあまりの揺れの激しさに、音楽を止め、地上に出る指示を受けました。地上にでても止まらぬ揺れ、一斉にカラスや鳥達が飛びたっていたのが印象的でした。目の前の区役所など高いビルでは次々に人が出てきて、至るところから非常ベルがなり、エレベーターが停まったと叫ぶ人達。揺れ続けているなか、テレビの速報を聞いた人が叫ぶ。「震源地は三陸沖、震度七以上」正直驚いた。新宿でこれだけ揺れたのだから震源地の近くだったら・・自分の住まいは新宿よりずっと東北寄りだ。家族にメールしたが返信は無い。電話も至るところにかけたが繋がらない。
薄着で飛び出した彼女達も余震の合間に着替え、約一時間後には開催中止、閉店ガラガラ。怪我人は出ませんでしたが、ここからが長い戦いになります。電車が動かないと発覚。たまたま車で来ていた自分はまず、新宿を脱出へ。首都高は閉鎖。信じられない渋滞のなか、新宿から西に9キロ進むのに2時間半。ここから高速使わずに100キロ一般道帰るのはどれくらい掛かるか不安だったが、少しでも道が空くのを期待し、日付が変わってから出発。渋滞の連続。東京抜けるのに4時間弱。自宅に着いたのは6時過ぎ。でも自宅は無事。
地元は東京以上の震度、会社の工場には至るところに爪痕が。
これから大 変な事が多いと思います。逃げずに対処して行きます。新宿には今週は行けないな・・