さて、オリンピックイヤーですね。
個人的には、もう何年も前からオリンピック、パラリンピックとテレビやら何やらやかましくて、始まってもいないというのに、もうウンザリです。
聖火リレーも始まるようですね。
個人的には、やっぱりどうでもいいのですが。
さて、前の東京オリンピックの際は、聖火を消さないことに苦心し、国家の威信をかけて運んだそうです。
てなことを、テレビで観ました。
そりゃあもう、聖火を消さないよう、みんな真面目に、真剣でした。
ですが、長野オリンピックの聖火リレーでは、聖火が途中で消えたそうです。
予備の聖火があったので、ことなきを得たようですが、リレーされてきた火とは違うという訳で、メディアから何やから大批判です。
それに対して、当時の長野県知事のコメントに、私は仰天した。
彼の人は、こう言った。
「火だから消えることもある」
何だ、その言い訳!?
と、仰る向きもござろうが、「聖火を消さないことは重要」なことだと思っていた私には、まさに目から鱗。
そう。聖火を消さないことに意味があるのではない。
聖火リレーの本質は、ただ実際に燃えている火をつなぐということにある訳ではない。
心を繋ぐことに意味があるのだ。
なんて、私が考えている訳ない。
ともかくも、聖火が消えたことで、誰かが非難されたり、誰かが責任をとることに意味があるはずがない。
なんと言っても
火だから、消えることもある。
……のだ。
消えない火はない。
たぶん。
それを忘れてはいけない。
さて、ここまで書いておいて、なんだが、高野山には千年燃え続けている火があるという。
まあ、この火も、放っておけば消えてしまうし、何かのはずみで消えることもある。
ただただ、火を消さないことばかりに終始し、なぜ消さないようにしているのかを忘れてしまった時に、その火は完全に消えてしまうのかもしれない。
なんてなあ~~~~
良い、週末を!!