スーパーで、まあ、ペーパー類が一掃されていた。
まるで、かつての世界中に侵攻していった大英帝国の通った後のようだ。
観察(というほどでもないこと)をしてみると、なんとなくインスタントラーメン、米が少なくなっている。
そこはかとなく、明治おいしい牛乳900m、インスタントコーヒー、切り餅なんかも、匂ってくる。
ドラッグストアをまわれば、愛用の明治うがい薬も店頭から消えている。
こういう様を見ていると、不安が湧いて出る。
買いだめしておかねば!!
と、ウッカリ思う。
次に無くなるのは何だ!?
と、ゾワゾワしてくる。
こういう時は、落ち着くべし!
供給はいつか戻ってくるし、トイレットペーパーの欠乏危機はデマだったらしいし。
これに乗せられて、パニックをエスカレートさせる片棒を担ぐような愚行に参加するべきではない。
まあ、それは分かる。
しかし、マスクやトイレットペーパー状況を見るに、世界はあっと言う間に物を買い尽くしてしまう危険性に満ちている。
不安だ。無くなったら困ると言う恐怖が、人間の心を蝕む。
母なんぞは、このトイレットペーパー一掃事件前から(ここポイントです)、家に12ロールパックを8~10個ほど備蓄しているのにも関わらず、スーパーの商品棚にトイレットペーパーがない状況をみて、店をハシゴして買い足そうとしたぐらいだ。
まあ、止めた。
ウツになって、私は引きこもった時期がある。
外に出ることが怖くなったからだ。
怖いものは、外からやってくる。だから外に出なければ大丈夫だ。
と、自分に言い聞かせながら、玄関チャイムが鳴るのにすらビクビクして過ごしていた。
まあ、確かに外の人からの刺激が、猛烈に痛いのは確かだ。
でも、引きこもっていても、恐怖や不安は完全におさまることはない。
それらは、自分の中で生み出している感情であるからだ。
外からの刺激は、引き金になる。それを増幅させるのは、自分自身なのだと、嫌と言う程に痛感した。
……はずなのに!!
理屈では分かってるはずなのに!!!
やっぱり、必要なものが買えない、買えなくなるかもしれないという不安からは、逃れられぬ。
取りあえず、今日は引きこもる。
なんか、外にでたら買い貯めに走ってしまいそうだ。
いや、家にいても、テレビやネット通販の罠も待ってるよ
不安は、外からも、うちからもやって来る。
逃れられぬ運命だと思うと、万事休すで、脳も活動停止。
ひとやすみ、ひとやすみ。