一時、私はちょいと引きこもっていた訳だが。
まあ、部屋に引きこもっているというよりも、家に引きこもっていたので、本格的な引きこもりとは、おそらく異なるだろう。(ヘンケン……)
何故そんなことをしていたかと言うと、外が怖かったからだ。
自分以外の世界が、こちらの立場や心の有り様などお構いなしに、私を暴力的に侵食してくるのが怖かった。
それらから自分を守るには、外界との接触を断つしかない。(と、私は確信していた)
とにかく、誰とも話したくないし、誰の話も聞きたくない。
とにかく、家にいれば、安心。
という、信条の上に生きていた。
そのころの自分の書いたものをみると、本当にそう信じているようだった。
結論を言ってしまうと、外と一切かかわらないでいられるほど、お幸せな世界ではなかった。
ひとことで言ってしまうと、無理。
まあ、幻想、妄想の世界。
外からやってくるものを食べないといけないし、外の空気を吸わないと生きていられないし、そもそも外からばくばく(夫)は帰ってくるし。
関わりあいたくない人間NO.1である母に、私の引きこもりを隠すために(なんかアドバイスとかしてきて、メンドクサイし、何よりむかつくから)、週一で(買い出しと、母の愚痴&他人の悪口を聞くために)実家へ行ってみせなくてはならなかった。
そういう事は、まあ、おいといて。うん、おいとくわ。
根本的な認識が間違っていたと言ってイイ。
怖いことは外からやってくると思い込んでいたのが、まず間違い。
その最たるものが、「死にたい」という感情、感覚?、衝動。
なにか直接的に死なねばならぬ事情などなくても、「死にたい」というのは、ほぼ全自動的にやってくる。
何か外部からの反射ということでも、確かにそういう衝動は起きるが、そうでなくても、そういう気持ちになってしまう。
これが面倒だ。やっかいだ。
家に籠っていれば、死にたいという気持ちから逃れることが出来るかと思ってみていたが、やっぱり、そうは問屋が卸さなかった訳で。
「死にたい」というか、むしろ「この世界から消えてなくなりたい」、何なら自分が「最初からなかったことにしたい」という欲求は、外に居ようと、家に居ようと回避できなかった。
なぜなら、こいつらは、私の中から湧いて、湧いて、湧いて出てくるのだ。
外から来るんじゃない、内からだ!
これに気付いたのは、つい最近すぎて、もはや「消えてなくなりたい」とか思わなくなっていた。
何の役にも立たない気付きであった。
でも、まあ、やっぱり、今も外は怖い。
外の人間は怖い。
とにかく、みな、私とは関係のないところで生まれて生きている。
それだけで、もはや関わりあいたくない。
でも、みんな自由だ。
関わってほしくないのに、私に近づいてきては、自分の理屈で自由にふるまって、私を掻き乱して、私を捻り潰して、凹ませて、ご丁寧に後ろ足で砂をかけて帰って行く。
ほんと、みんな自由だ。
私には、私以外の人が本当に自由に見える。
これは、私がまだ病みの中に居るせいなのだろうか。
それとも、単に世界って、そんなものなのだろうか。
そんなことに、本気で悩んでいるかと言えば、そうでもないさすが五十肩に相応しい年齢の私。
もう、世界がどうしようと、世界が明日滅んでも、それは私には関係のないハナシだ。とも、思う。
ネガティブなのか、ポジティブなのか。
どっちに向かっているのか?
分かんないね。
そもそも、私、ここで何が言いたいのかも、分かんないや。
ご容赦を。