同じ日本人として誇らしい。
同じ日本人として嬉しい。
日本人がオリンピックでメダルをとったり、大きな大会で優勝したりすると、街頭の皆さんがよく言う言葉。
ただ、笑いながら応えている人が、ただ日本国籍を持っているからと言って、誰かの手柄や努力の結果である喜びを横取りしているような気がして嫌な気持ちになったりしてみたりする。
何故なら、私とあの輝いている人は同じ人間ではない。別個体だ。
私は何もしていない。
だから、私が誇らしく思ったり、喜んだりする権利はない。
なにしろ、別個体だから。
私とあの人は、別の存在。
あの人が素晴らしいからといって、ただ国籍が同じだからといって、私が素晴らしいことでは断じてない。
あの人の喜びは、あの人、そしてともに努力した人々のもので、決して漫然と生きている日本国籍民が享受すべきものではない。
多くの日本国籍民は、他人の努力の結果や、名誉や、栄誉を、ただ盗んでいるだけだ。
とかね。
まあ、たぶん、それって、私がひねくれてるんでしょうね。
ただ、素直に喜んで。
おめでとう!
おめでたい!!
と、言うべきなんでしょうね。
同じじゃないから、「同じ日本人としての誇り」を持っては、いけないとおもう。
その人の栄誉を讃えるのは、いい。とは、思う。
でも、讃えるという行為も、果たしてそんな権利が私にあるのだろうか。と、問う。
人を評価するような権利は、やっぱり私にはあると思えない。
だったら、他者の栄誉を喜びとする人々を評価するようなことを言うのも、実はおかしい。
それでも、その人の誇りは、その人のものだから。
決して、盗んで、さも自分のもののように首からぶら下げてはいけないのだと。
やっぱり私は、思っている。