歌舞伎役者や芸人などには、古来(?)から現代に至るまで、「色事は芸のこやし」という便利な言葉がが用意されているのだが、これってどうなのだろうか?
私のようなイッパン人としては、色事が具体的にどう「肥やし」になるのか、説明を聞いてみたいところである。
芸が艶っぽくなるとか、演じる際の心情が深まるとか。言うが、もっと詳細をききたい。
これこれこういう役をする際に、こういった効果効能があらわれる。とかね。
それは、野暮。
と言われるかもしれないが、
いちいち経験してみないと分からんなんてのは、想像力が足りないだけじゃねえの?
いちいち経験しないといけないなら、芸事に励む時間もないんじゃないの?
とか、思ってはいかんのだろうか。
まあ、百聞は一見に如かずという諺が、高らかに宣言しちゃってるのも、「芸の肥やし」説を補強している。
ああ、なんか形勢不利だわ。
ただ、複数の人に少なからず不幸を振りまいていることは、確かであると思う。
そういう人の犠牲の上に咲く芸の花が、どれだけ美しいと言えるのだろうか。つて。
むろん「私は肥やし」でいいの。他所で栄養をとって、生業に活かされるならそれでもよい。と、考えるお人もいるかもしれない。
不幸な人間が一人もいなければ、不倫も良かろう。
と、エラそうな私は、肥やしにもならなければ、肥やしを理解できる人間でもない。
「色事は芸の肥やし」説は、たいがい助べえの言い訳に過ぎない。
己の欲求をコントロールできない、ノーコン野郎の常套句だ。
そして、夫の不貞を諦める妻にとっての言い訳でもある。
ああ、悲しいねえ……